只今 ウィスキーを飲んでいるんですが、下までコップを取りに行くのが面倒なんで部屋に有った山用のアルミの食器で飲んでいる訳です。
まっ、不衛生な感じは否めませんが、物がアルコールなんでOKでしょ。
しかし・・・何となくですがアルミの味がすると言いますか、アルミ臭いと言いますか、いつもと違う味がする訳です。
いや、嫌いとか、そう言う味じゃないんですがね。
数日前に流行物のアドラー心理学? まっ、タイトルも何もかも良く覚えていませんが一通り読んだ訳です。
まっ、私に言わせると目新しい事は何も書いてなかった・・・うん、禅と言いますか、仏教のアレコレを紐解けば同じ事が全部出て来ますけど・・・と、言う感じで有りました。
仏様の教えの解釈は人それぞれなんで正しいとか、間違いと言う事は無くて、ああそう言う解釈も有るのか、と読むのが良いと思う訳ですが、私の見方としましては、仏様が言いたかった事は・・・比べるな、と言うのを強く感じる訳です。
アドラーもその辺は外していない訳ですが、そんな事は誰に言われなくても、それが不幸の種になる事は分かっている・・・と、言うのが普通じゃないんでしょうか?
その上で、仏様関係では自分の意思では容易には断ち切り難い煩悩と言う物を置いて、意識と現実の狭間で苦悩する娑婆の凡夫をどうして救うか? 南無阿弥陀仏・・・でもあの世でね、とか考えだしている訳です。
人間、身体を鍛えるのに一日や二日じゃ無理な訳です。
健全な身体に健全な精神が宿る・・・まっ、日本人的解釈は誤訳と言うよりも権力がご都合で曲解してるんでアレなんですけど・・・意味の本筋としては悪く無いと思う訳です。
身体が健やかでなければ精神も病む・・・また逆も真なりで、心が病めば身体の健康も危うくなる、と、思う訳です。
まっ、病を得て覚悟が決まって心穏やか、なんてのはそれこそ悟りでして、そうなれば精神と肉体は乖離出来るんで有りましょう。
で、この手の啓蒙本を読んで常に思う事は・・・ローマは一日にして成らず、か、千里の道も一歩から、であります。
身体をまともに鍛えるのに数ヶ月は掛かる・・・それなのに精神的な物は本を一冊読んだら目から鱗が落ちるって、そんな馬鹿な、であります。
そもそも、その程度の事で己の精神的な物が変えられるんだとすれば、これほどまでに世の中の人は悩まないし、ご大層な宗教のアレコレも出では来なかったでしょう。
でも、一瞬は分かった気にさせてくれるのは否定しません・・・夏の暑い時のかき氷の一杯みたいな物ですか? あー涼しくなった、ンじゃぁ御馳走さん、と、勘定を置いて店を一歩出たとたんに熱さにげんなり、みたいな?
まっ、酒を飲みつつ好き勝手を書きなぐっている訳ですが・・・でも、思うんですよね。
ドーだっていいじゃネェかそんな事は、と、総ての事を自分の都合良いようにしか解釈せず・・・終いには孤立無援で独りになったって、ドーせ死んじまうんだから好きに生きるわ、と覚悟を決めたら、ホントに天下無敵です、と。
もう、十分諂って生きて来ましたから・・・勘弁してくださいな、です。
大して呑んでないのに支離滅裂・・・脳味噌、腐らないように、たまには強かにアルコール漬け、ナンチャって・・・世間に騙されてますねぇ~ 生きるのに良い方法とか正しい方向が有るなんて・・・カタチなんて無いのにねぇ~。
私はこんなに無能で馬鹿なのに十分立派に生きて来ましたからね。
どういう風に立派かと言うと・・・世界で一番好きなのは自分と言いきれる事ですね。
親子も夫婦も全部他人ですぜ・・・自分の他の人・・・皆他人。
アドラーは言ってましたね・・・信用と信頼は違うって・・・ホントかよ?
そんな事を素直に信じて気持ちを決められるくらいなら最初から人間関係になんて悩まないし。
一方的信頼の滑稽さ・・・覆された虚しさが生み出すどん底の恐怖感。
私しゃ独りでいる方を選びますね・・・傷つくのもつけるのも嫌、と。
それじゃぁ寂しいだろう、って? そんな事は無いです。
剥き身の心で付き合うばかりが仲間でもないと私は思ってますから。
で、私が読んだアドラーの本の最後はほとんど詭弁の域だなと思ったんですけど・・・人生は刹那の連続である、ですと。
それって、そのまま禅なんですけど、と、思った私は馬鹿ですか?
煩悩と言う言葉は、本能と置き換えても成り立つと思う訳です。
餓鬼道・・・私ら日本人は殆どが多財餓鬼ですかね?
でも、多財餓鬼は向上心の筋違いとも言える訳ですから、本能でしょう?
それを程度の差で良し悪しを決めるなんてのは娑婆のご都合主義でしかない。
まっ、支離滅裂極まれり・・寝ましょう。
まっ、不衛生な感じは否めませんが、物がアルコールなんでOKでしょ。
しかし・・・何となくですがアルミの味がすると言いますか、アルミ臭いと言いますか、いつもと違う味がする訳です。
いや、嫌いとか、そう言う味じゃないんですがね。
数日前に流行物のアドラー心理学? まっ、タイトルも何もかも良く覚えていませんが一通り読んだ訳です。
まっ、私に言わせると目新しい事は何も書いてなかった・・・うん、禅と言いますか、仏教のアレコレを紐解けば同じ事が全部出て来ますけど・・・と、言う感じで有りました。
仏様の教えの解釈は人それぞれなんで正しいとか、間違いと言う事は無くて、ああそう言う解釈も有るのか、と読むのが良いと思う訳ですが、私の見方としましては、仏様が言いたかった事は・・・比べるな、と言うのを強く感じる訳です。
アドラーもその辺は外していない訳ですが、そんな事は誰に言われなくても、それが不幸の種になる事は分かっている・・・と、言うのが普通じゃないんでしょうか?
その上で、仏様関係では自分の意思では容易には断ち切り難い煩悩と言う物を置いて、意識と現実の狭間で苦悩する娑婆の凡夫をどうして救うか? 南無阿弥陀仏・・・でもあの世でね、とか考えだしている訳です。
人間、身体を鍛えるのに一日や二日じゃ無理な訳です。
健全な身体に健全な精神が宿る・・・まっ、日本人的解釈は誤訳と言うよりも権力がご都合で曲解してるんでアレなんですけど・・・意味の本筋としては悪く無いと思う訳です。
身体が健やかでなければ精神も病む・・・また逆も真なりで、心が病めば身体の健康も危うくなる、と、思う訳です。
まっ、病を得て覚悟が決まって心穏やか、なんてのはそれこそ悟りでして、そうなれば精神と肉体は乖離出来るんで有りましょう。
で、この手の啓蒙本を読んで常に思う事は・・・ローマは一日にして成らず、か、千里の道も一歩から、であります。
身体をまともに鍛えるのに数ヶ月は掛かる・・・それなのに精神的な物は本を一冊読んだら目から鱗が落ちるって、そんな馬鹿な、であります。
そもそも、その程度の事で己の精神的な物が変えられるんだとすれば、これほどまでに世の中の人は悩まないし、ご大層な宗教のアレコレも出では来なかったでしょう。
でも、一瞬は分かった気にさせてくれるのは否定しません・・・夏の暑い時のかき氷の一杯みたいな物ですか? あー涼しくなった、ンじゃぁ御馳走さん、と、勘定を置いて店を一歩出たとたんに熱さにげんなり、みたいな?
まっ、酒を飲みつつ好き勝手を書きなぐっている訳ですが・・・でも、思うんですよね。
ドーだっていいじゃネェかそんな事は、と、総ての事を自分の都合良いようにしか解釈せず・・・終いには孤立無援で独りになったって、ドーせ死んじまうんだから好きに生きるわ、と覚悟を決めたら、ホントに天下無敵です、と。
もう、十分諂って生きて来ましたから・・・勘弁してくださいな、です。
大して呑んでないのに支離滅裂・・・脳味噌、腐らないように、たまには強かにアルコール漬け、ナンチャって・・・世間に騙されてますねぇ~ 生きるのに良い方法とか正しい方向が有るなんて・・・カタチなんて無いのにねぇ~。
私はこんなに無能で馬鹿なのに十分立派に生きて来ましたからね。
どういう風に立派かと言うと・・・世界で一番好きなのは自分と言いきれる事ですね。
親子も夫婦も全部他人ですぜ・・・自分の他の人・・・皆他人。
アドラーは言ってましたね・・・信用と信頼は違うって・・・ホントかよ?
そんな事を素直に信じて気持ちを決められるくらいなら最初から人間関係になんて悩まないし。
一方的信頼の滑稽さ・・・覆された虚しさが生み出すどん底の恐怖感。
私しゃ独りでいる方を選びますね・・・傷つくのもつけるのも嫌、と。
それじゃぁ寂しいだろう、って? そんな事は無いです。
剥き身の心で付き合うばかりが仲間でもないと私は思ってますから。
で、私が読んだアドラーの本の最後はほとんど詭弁の域だなと思ったんですけど・・・人生は刹那の連続である、ですと。
それって、そのまま禅なんですけど、と、思った私は馬鹿ですか?
煩悩と言う言葉は、本能と置き換えても成り立つと思う訳です。
餓鬼道・・・私ら日本人は殆どが多財餓鬼ですかね?
でも、多財餓鬼は向上心の筋違いとも言える訳ですから、本能でしょう?
それを程度の差で良し悪しを決めるなんてのは娑婆のご都合主義でしかない。
まっ、支離滅裂極まれり・・寝ましょう。