じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

正月は終わりだっ!!!

2016-01-01 21:10:31 | 日記的雑談
いや、正月気分はいつまで許されるのか、正直に言うとこの歳でも良く判っていないのだ・・・初七日と言うから・・・むっ?チと違うか? 松の内が七日でありますかな?
アレか? 三が日と言うのもありましたな? だとすれば三日間だが、これはドーも官公庁の休みを指す感じがしないでも無い。
しかし・・・鏡開きは11日と言う事は、その辺までは正月であるとも言えるし。
だが、我が家地方だと「どんと祭」と言う日が14日と決まっていて正月飾りはその日まで飾っておく家も少なく無いので14日も微妙に引っかかる。

う~む・・・と、言う事で、一番忙しい人の正月は「三が日」で、一般的には七日間の松の内までが正月か?
そして、我が家地方のような東北の硬い中ののんびりした所は14日の「どんと祭」まで、と言う事になるかと思いますが・・・はいっ、そこの貴方、異議は認めません!!!

まっ、アレです・・・有り体に申し述べれば仙台人の自分の正月は14日までであります。
で、どんと祭で正月の縁起飾りや前年に神社から頂いたお札などの縁起物を御神火にくべて燃やし、新しいお札など頂くと、心新たに仕切り直した日々が始まると言う感じでありましょうか? なにっ? 同じ仙台人でも全然違うでスとぉ? まっ、いいでしょう。

しかし、ホントーの事を言うと「松の内」の七日間が全国的に認められてるんじゃないかと思いますけれどもね。
お正月に家にやって来た神様も七日でお帰りになるらしいんで、そう言う事だと思います、たぶん。

ところで・・・晩飯を食べながらテレビを見ていたんですけれども、なんか画面の中の正月らしい雰囲気って薄く無いですか?
めんこい娘さんも着物とか着てなくて普通の衣装でスゼ・・・男で羽織袴なんてのは笑点でTOKIOの城島君が着てたのを見たくらいでありました。
ナント申しましても「芸能人隠し芸大会」はやっていないんですね!!! これは驚きであります。
南京玉すだれとか、傘の上で鞠を回す芸とか、懐かしいですね。

Amazonの「お坊さん便」、日本人の「お寺離れ」を食い止める苦肉の策? 海外も注目

正月早々触れる話題でもないだろうと叱られそうですけれども・・・古くは一休さんが「正月は 冥土の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と宣ったそうで、まっ、自分としては良いのかなと思いますけど。

さて、この記事の表題からして破綻してると思いますが・・・「日本人のお寺離れ」とは此れ如何に? と、言う事は、離れる前は近かったのか? そんな事は無いでしょう。
既に寺が遠い存在になって幾星霜、葬式仏教と言われてからは特に遠いんじゃないんでしょうか?
で、遠くしてしまったのは寺であり坊主の方だと思う訳です。
記事でも指摘してますけれども、葬式や法事の時のお布施・・・時価ですぜぇ。
で、戒名なんてナンですかぃ、あの法外な吹っかけようは。

で、そう言う金銭的な問題もナニなんですけれども、そもそも、私らが寺に行く用事がないんですから、それは疎遠にもなりますわぃ、と。
親戚だってそうでしょ?会っても話しの弾まない間柄なんて堅苦しくて息苦しくて、縁故関係なんで仕方なくお愛想のつき合いはしますけれども・・・ねぇ?

お寺の歴史・・・遡ったらアレですゼ、庶民に近かった時代なんて多分無いですゼ。
奈良時代では既に権威的になり一般平民とは掛け離れた存在と言いますか、時の権力と結びついてアレコレ、な訳ですから。

まっ、言い方を変えればつき合う必要が無くなった、崇めて奉る存在では無くなっちまった、と言う事だと思うんですよ。
最後のトドメは、葬式ですよね。
葬式にあんまし大した意味を感じなくなり、盛大にやったり大騒ぎするよりは故人の意思を汲んで形式よりも気持ちに重きを置くと言う・・・そうなると盛大な儀式に必要な偉そうな坊さんもナンだかなぁ・・・と。

まっ、私のインチキな知識ではお釈迦様は葬式とか否定的ですからね。
自分の葬式とか儀式はやるな、と、釘を刺して逝かれたと言われてますからね。

で、寺に人を呼びたくてなんか勘違いしたイベントとか企画して一山当てようとしている坊主も見られるんですけれども、そもそも、寺の存続のために仏教があるんじゃ本末転倒・・・ヴァッカじゃないの?でありましょう。

アレ・・・彼岸の時など自分の父ちゃんの墓に行くと思うんですが、そこは市営の墓地なんで特定の寺など無い訳です。
なので、自分で連れて来ないと坊さんなど一欠片も居ない墓地な訳です。
で、そんな時には坊さんは檀家の依頼で飛び回っているんでしょうけれども、暇で困っている坊さんで心ある人がこの手の墓地に現れて静かにお経など上げながら回っている、なんて徳のある坊さんは現れないもんかな、なんて思うんですよね。

仏教に形は要らない・・・寺なんてものは坊主が修行するためのモノであれば良し、と。




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明けたら閉める?

2016-01-01 14:30:34 | 日記的雑談
お正月ったって里帰りする所や行かなくちゃならない義理のある家も無く、また、義理で足を運んでくれる人も無い我が家は静かであります。


宇那禰神社の御神木 直径4.4m 樹齢400年

ついさっき、近くの神社に初詣に行き、家内安全・無病息災・世界の平和などを祈願して来た訳ですが・・・引いたおみくじは「吉」でありました。
「吉」って、微妙です・・・大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶・・・と言うのが私の知っている御神籤の序列なんですけれども、家の者曰く・・・大吉・中吉・小吉・末吉・吉、だと言う訳であります。
この序列だと吉族の中では序列末席・・・あんまし有り難く無ぇなぁ、なんであります。
と、言う事で、私の解釈としては、古来より伝わる序列の、大吉・吉・・・と言う方を採用しようと思う次第であります。

いや、神頼みとか絶対にしない人なんで気にしないんですけれども・・・気にはならないんですけれども、拘っちまうと言う・・・日本人なんですねぇ~、と。


神様もお正月はごちそうを頂くんですね

で、御神籤には縁起物の小さな神様が入っている訳です・・・大黒様とか、達磨とか、打ち出の小槌とか、熊手とかある訳なんですが、自分のは「銭亀」でありまして、金運バッチリとか・・・いや、神頼みとか縁起は担がない方なんですけれども、気にしないのかと言うとそうでも無い訳です。

で、第三十九番「吉」のお札が申す所によれば・・・

「月影の 山のは近くかたむけば ほのぼのしらむ 東のそら」なんだそうであります。
分かったような判らないような・・・やっぱし良く判りませぬ。



我が家の鏡餅・・・なんか、少し悲しい感じ

いや、神社に行くのは散歩な訳でしてけっして神仏に頼み事などする気持ちは無い訳であります。
で、家を出ようかとふと見ると玄関のお供え餅が目に入った訳であります、が、ガビョーンでありました。
その衝撃は2トンのハンマーで叩かれたような感じであったと言えるほどの衝撃でありました・・・ヒョットすると笑劇かも知れないけど・・・?

まず、鏡餅がパックに入っているのは良いでしょう・・・カビ防止、ひび割れ防止、と。
しかし、餅の上の招き猫はナンなんですかぃ? いつから正月飾りは商売繁盛の縁起物と親戚関係になったんですかぃ?
嫌になっちまうなぁ・・・洒落になってないと思うんですけれども、これを時代の流れと見逃さないと着いて行けないんでありましょうか?
いや、オラ、そんな時代には取り残される方が良いです。

しかし、我が家にはこれを飾って平然としている輩が居る訳で・・・正月早々堪んねぇなぁ~・・・であります。






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明けましたねっ

2016-01-01 12:00:13 | 日記的雑談


平成28年 我が家地方 元旦の日の出

あけましておめでとうございます

これの一つ前のエントリーは昨年のうちに仕込んでタイマーでアップしたんでフライング謹賀新年でありました
我が家地方は太平洋側ですけれども山沿いなんでスッキリした空の初日の出とはなりませんで、少し重たげな雲間からのお目見えとなりました。
元旦からこんなことを言うのもナニなんですけれども、平成28年の先行きを暗示するかのような黒い雲・・・まっ、正月ですから止めておきましょう。

皆様の御宅では新聞は取ってますか?
今朝の新聞の厚さ・・・折り込み等の量は毎年の事ながら半端じゃ無いですね。
一軒分が一キロあるんじゃないか? なんて思うほどでありました。

で、新聞よりも先に折り込み広告を眺めるのが楽しみなんですが・・・いや、元旦の新聞記事は仕込み記事ばかりでしてニュース性は無いモノが多い訳でして、ネットの方が速いし。

そんな訳で餅なんか喰いながら新聞の折り込みチラシなど眺めた訳ですが・・・我が人生は満ち足りているんであるなぁ、と、痛感しました。
どのチラシを見ても欲しいと思うモノ、強く心惹かれるモノが無いのであります。
いや、おっ、と思うモノはあるんですけれども、しかしそれが無いと死んじまうと言うモノでは無いし、それを買い求めたからと言って突然禿げた前頭葉が回復する訳でも無い・・・と、なると、買っても買わなくても良いな・・・混雑している店に出向くのは面倒だから止めとこう、と、なっちまう訳です。

そもそも、私の目を引くモノが・・・若い頃なら車とか流行の服とか、で、ありましたが、中年期には家具やら電化製品と、家庭的なモノに目が移り、そして本日では、電動工具とか、園芸用品とか、墓石とか・・・に、変化している訳であります。

しかも、昔の私であれば・・・欲しい=買う、であったのに、本日は・・・欲しい=買ってドーする? と、次の思考回路が働く訳であります。
そしてその結果は・・・これを買った所で俺の人生に何の変化も影響も無いな・・・なら煎らねぇな、と来る訳であります。

これを、熟慮と言うべきなのか、人生が枯れたと言うべきなのか・・・まっ、ドーでも良い事ではありますが。

いや、新聞を見て最初に思った事は・・・配達した人、ご苦労様、でありました。
やった事無いと当然分からないんですけれども、配達の準備は織り込みチラシを作る所から始まるんですけれども、これが手間ひま掛かる訳でして、僅か50~60軒の折り込みの準備でも大変でありました・・・ええ、私は立派な経験者ですとも。
で、普段の何倍もの重さの新聞は自転車の前カゴには入り切らず、配達途中の要所にデポして置く訳です。

正月早々餓鬼の頃の事など思い出し、こりやぁ景気付けに一杯やらないとダメだな、なんて気持ちになっております。

こんな戯れ言や時に罵詈雑言を吐くブログではありますが、本人に悪気は無いので今年も宜しくお願い致します。




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謹賀新年

2016-01-01 00:00:59 | 日記的雑談




明けましてお目出度うございます
本年も程々に宜しくお願い申し上げます




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