いや、正月気分はいつまで許されるのか、正直に言うとこの歳でも良く判っていないのだ・・・初七日と言うから・・・むっ?チと違うか? 松の内が七日でありますかな?
アレか? 三が日と言うのもありましたな? だとすれば三日間だが、これはドーも官公庁の休みを指す感じがしないでも無い。
しかし・・・鏡開きは11日と言う事は、その辺までは正月であるとも言えるし。
だが、我が家地方だと「どんと祭」と言う日が14日と決まっていて正月飾りはその日まで飾っておく家も少なく無いので14日も微妙に引っかかる。
う~む・・・と、言う事で、一番忙しい人の正月は「三が日」で、一般的には七日間の松の内までが正月か?
そして、我が家地方のような東北の硬い中ののんびりした所は14日の「どんと祭」まで、と言う事になるかと思いますが・・・はいっ、そこの貴方、異議は認めません!!!
まっ、アレです・・・有り体に申し述べれば仙台人の自分の正月は14日までであります。
で、どんと祭で正月の縁起飾りや前年に神社から頂いたお札などの縁起物を御神火にくべて燃やし、新しいお札など頂くと、心新たに仕切り直した日々が始まると言う感じでありましょうか? なにっ? 同じ仙台人でも全然違うでスとぉ? まっ、いいでしょう。
しかし、ホントーの事を言うと「松の内」の七日間が全国的に認められてるんじゃないかと思いますけれどもね。
お正月に家にやって来た神様も七日でお帰りになるらしいんで、そう言う事だと思います、たぶん。
ところで・・・晩飯を食べながらテレビを見ていたんですけれども、なんか画面の中の正月らしい雰囲気って薄く無いですか?
めんこい娘さんも着物とか着てなくて普通の衣装でスゼ・・・男で羽織袴なんてのは笑点でTOKIOの城島君が着てたのを見たくらいでありました。
ナント申しましても「芸能人隠し芸大会」はやっていないんですね!!! これは驚きであります。
南京玉すだれとか、傘の上で鞠を回す芸とか、懐かしいですね。
Amazonの「お坊さん便」、日本人の「お寺離れ」を食い止める苦肉の策? 海外も注目
正月早々触れる話題でもないだろうと叱られそうですけれども・・・古くは一休さんが「正月は 冥土の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と宣ったそうで、まっ、自分としては良いのかなと思いますけど。
さて、この記事の表題からして破綻してると思いますが・・・「日本人のお寺離れ」とは此れ如何に? と、言う事は、離れる前は近かったのか? そんな事は無いでしょう。
既に寺が遠い存在になって幾星霜、葬式仏教と言われてからは特に遠いんじゃないんでしょうか?
で、遠くしてしまったのは寺であり坊主の方だと思う訳です。
記事でも指摘してますけれども、葬式や法事の時のお布施・・・時価ですぜぇ。
で、戒名なんてナンですかぃ、あの法外な吹っかけようは。
で、そう言う金銭的な問題もナニなんですけれども、そもそも、私らが寺に行く用事がないんですから、それは疎遠にもなりますわぃ、と。
親戚だってそうでしょ?会っても話しの弾まない間柄なんて堅苦しくて息苦しくて、縁故関係なんで仕方なくお愛想のつき合いはしますけれども・・・ねぇ?
お寺の歴史・・・遡ったらアレですゼ、庶民に近かった時代なんて多分無いですゼ。
奈良時代では既に権威的になり一般平民とは掛け離れた存在と言いますか、時の権力と結びついてアレコレ、な訳ですから。
まっ、言い方を変えればつき合う必要が無くなった、崇めて奉る存在では無くなっちまった、と言う事だと思うんですよ。
最後のトドメは、葬式ですよね。
葬式にあんまし大した意味を感じなくなり、盛大にやったり大騒ぎするよりは故人の意思を汲んで形式よりも気持ちに重きを置くと言う・・・そうなると盛大な儀式に必要な偉そうな坊さんもナンだかなぁ・・・と。
まっ、私のインチキな知識ではお釈迦様は葬式とか否定的ですからね。
自分の葬式とか儀式はやるな、と、釘を刺して逝かれたと言われてますからね。
で、寺に人を呼びたくてなんか勘違いしたイベントとか企画して一山当てようとしている坊主も見られるんですけれども、そもそも、寺の存続のために仏教があるんじゃ本末転倒・・・ヴァッカじゃないの?でありましょう。
アレ・・・彼岸の時など自分の父ちゃんの墓に行くと思うんですが、そこは市営の墓地なんで特定の寺など無い訳です。
なので、自分で連れて来ないと坊さんなど一欠片も居ない墓地な訳です。
で、そんな時には坊さんは檀家の依頼で飛び回っているんでしょうけれども、暇で困っている坊さんで心ある人がこの手の墓地に現れて静かにお経など上げながら回っている、なんて徳のある坊さんは現れないもんかな、なんて思うんですよね。
仏教に形は要らない・・・寺なんてものは坊主が修行するためのモノであれば良し、と。
アレか? 三が日と言うのもありましたな? だとすれば三日間だが、これはドーも官公庁の休みを指す感じがしないでも無い。
しかし・・・鏡開きは11日と言う事は、その辺までは正月であるとも言えるし。
だが、我が家地方だと「どんと祭」と言う日が14日と決まっていて正月飾りはその日まで飾っておく家も少なく無いので14日も微妙に引っかかる。
う~む・・・と、言う事で、一番忙しい人の正月は「三が日」で、一般的には七日間の松の内までが正月か?
そして、我が家地方のような東北の硬い中ののんびりした所は14日の「どんと祭」まで、と言う事になるかと思いますが・・・はいっ、そこの貴方、異議は認めません!!!
まっ、アレです・・・有り体に申し述べれば仙台人の自分の正月は14日までであります。
で、どんと祭で正月の縁起飾りや前年に神社から頂いたお札などの縁起物を御神火にくべて燃やし、新しいお札など頂くと、心新たに仕切り直した日々が始まると言う感じでありましょうか? なにっ? 同じ仙台人でも全然違うでスとぉ? まっ、いいでしょう。
しかし、ホントーの事を言うと「松の内」の七日間が全国的に認められてるんじゃないかと思いますけれどもね。
お正月に家にやって来た神様も七日でお帰りになるらしいんで、そう言う事だと思います、たぶん。
ところで・・・晩飯を食べながらテレビを見ていたんですけれども、なんか画面の中の正月らしい雰囲気って薄く無いですか?
めんこい娘さんも着物とか着てなくて普通の衣装でスゼ・・・男で羽織袴なんてのは笑点でTOKIOの城島君が着てたのを見たくらいでありました。
ナント申しましても「芸能人隠し芸大会」はやっていないんですね!!! これは驚きであります。
南京玉すだれとか、傘の上で鞠を回す芸とか、懐かしいですね。
Amazonの「お坊さん便」、日本人の「お寺離れ」を食い止める苦肉の策? 海外も注目
正月早々触れる話題でもないだろうと叱られそうですけれども・・・古くは一休さんが「正月は 冥土の道の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と宣ったそうで、まっ、自分としては良いのかなと思いますけど。
さて、この記事の表題からして破綻してると思いますが・・・「日本人のお寺離れ」とは此れ如何に? と、言う事は、離れる前は近かったのか? そんな事は無いでしょう。
既に寺が遠い存在になって幾星霜、葬式仏教と言われてからは特に遠いんじゃないんでしょうか?
で、遠くしてしまったのは寺であり坊主の方だと思う訳です。
記事でも指摘してますけれども、葬式や法事の時のお布施・・・時価ですぜぇ。
で、戒名なんてナンですかぃ、あの法外な吹っかけようは。
で、そう言う金銭的な問題もナニなんですけれども、そもそも、私らが寺に行く用事がないんですから、それは疎遠にもなりますわぃ、と。
親戚だってそうでしょ?会っても話しの弾まない間柄なんて堅苦しくて息苦しくて、縁故関係なんで仕方なくお愛想のつき合いはしますけれども・・・ねぇ?
お寺の歴史・・・遡ったらアレですゼ、庶民に近かった時代なんて多分無いですゼ。
奈良時代では既に権威的になり一般平民とは掛け離れた存在と言いますか、時の権力と結びついてアレコレ、な訳ですから。
まっ、言い方を変えればつき合う必要が無くなった、崇めて奉る存在では無くなっちまった、と言う事だと思うんですよ。
最後のトドメは、葬式ですよね。
葬式にあんまし大した意味を感じなくなり、盛大にやったり大騒ぎするよりは故人の意思を汲んで形式よりも気持ちに重きを置くと言う・・・そうなると盛大な儀式に必要な偉そうな坊さんもナンだかなぁ・・・と。
まっ、私のインチキな知識ではお釈迦様は葬式とか否定的ですからね。
自分の葬式とか儀式はやるな、と、釘を刺して逝かれたと言われてますからね。
で、寺に人を呼びたくてなんか勘違いしたイベントとか企画して一山当てようとしている坊主も見られるんですけれども、そもそも、寺の存続のために仏教があるんじゃ本末転倒・・・ヴァッカじゃないの?でありましょう。
アレ・・・彼岸の時など自分の父ちゃんの墓に行くと思うんですが、そこは市営の墓地なんで特定の寺など無い訳です。
なので、自分で連れて来ないと坊さんなど一欠片も居ない墓地な訳です。
で、そんな時には坊さんは檀家の依頼で飛び回っているんでしょうけれども、暇で困っている坊さんで心ある人がこの手の墓地に現れて静かにお経など上げながら回っている、なんて徳のある坊さんは現れないもんかな、なんて思うんですよね。
仏教に形は要らない・・・寺なんてものは坊主が修行するためのモノであれば良し、と。