秋月龍岷と言う人が居る・・・岷の文字が違うんだけれども,その字はおっさんのPCに無いので適当に書いておきますけど・・・あきづきりょうみん、と言う人で,仏教の専門家と言う事になっているようであります。
で,彼の著書に「誤解だらけの仏教」と言う本があって,葬式について述べている行があります。
で,簡単に言うと,彼は葬式を肯定して居ると言いますか,葬式仏教と揶揄される仏事と坊主も肯定している訳であります。
人生最後の式典としてちゃんと勤めるのが良いと,宣っている訳ですが,自分は僧侶として一生葬式に関わるつもりは無い,とも書いている訳です。
で,葬式肯定の行に来る前には,ちゃんと、仏教は本来,葬式やお墓と関わらなかった,と、書いている訳です。
あんまし読解力の無いおっさんとしては、お前様の言いたい事がわからないんだけれども・・・ホントは仏教と葬式は無関係で,自分は関わりたく無いと思うけれども,巷の凡夫どもは,ケジメと言う意味での葬式も悪く無かろうと,言っているのか? と,言う感じで良い訳ですか? と、なるんだけれども釈然とはしない。
ホントは仏教と葬式は関係ないんだけれども,いまはそう言う事になっちまって,現実としてこうなんだから,まっ、お前等訳のわからない凡夫はやっとけばよろしいと言う事なのか?
おいおい・・・バカにするなよな,と,怒鳴りたくなるんですけど。
で,おっさん,葬式をやる事に文句がある訳でもなく,お釈迦様の教えと葬式が無関係なのに坊主が出て来て今日は,と言うのが嫌な訳でもない。
ただ,本来は仏事でもなんでも無い儀式に仏様の意向をかさに着て無知な小市民を騙す形で金を巻き上げようとする,商業主義的葬式に異議を唱えたくなっちまう訳であります。
戒名など摩訶不思議な話しで,院号なんてのは・・・院とは寺の事で,寺を建てて仏様に帰依した仏道に居たものに与えられるものであったのが,いつの間にやら地獄の沙汰も金次第なんて事でか,皆して戒名は一文字でも多い方が良い,なんて事になっちまっている訳です。
ちなみに今時はインターネットで格安の戒名を買う事が出来ますけど。
例えば・・・親鸞の言葉を信じるとすれば,南無阿弥陀仏と唱えようと思えば話しは終わっちまう訳で,それで仏様の国へ行ける訳で,そこで戒名による位付けがあるなんて事は宣っていない訳です。
で,49日は仏事と言う事になってますが,それ以外の法要は大半が後付けの無関係であります。
ナンとなれば,お釈迦様は魂とか例と言う存在は否定している訳で,49日であの世に辿り着いたからもうお終い・・・で,序でに言うと,輪廻転生もお釈迦様は語らなかったんですけれども,インド仏教では49日が過ぎればまた転生して来るんで,墓も要らなかったし,法要も無い訳です。
供養・・・もうお浄土で仏様となっている存在を,娑婆で餓鬼道に苦しむ凡夫が供養など出来るはずも無いじゃありませんか。
一本箸の飯・団子・枕銭・末期の水・死に装束・・・全部日本独自の,それも江戸の中期以後の仕来りでして,中国の仏教にも無いそうです。
49日までの七日毎の供養は一応仏事とされていますが,百か日や一周忌は儒教から来たものと考えられています。
先日,坊さんと会食をした時に一番先に食べたのが刺身でありました。
まっ、車で来たので酒は飲みませんでしたが,密教の坊さんが不飲酒戒を破る姿はおっさん的には嫌なので見なくて良かったと思いました。
いや、何をゴチャゴチャ宣って居るんだと言う声が聞こえそうでありますが・・・要するに,銭が掛かり過ぎるだろう・・・そして,参列者の香典も皆様の負担であり,亡くなった婆様の望む所ではなかったんじゃないか?と,思っている訳です。
金持ちで,こんな葬式屁とも思わない人は良いと思います・・・で,貧乏人のおっさんが住む団地では,こう言っては失礼だけれども,やっぱし,似た様な経済的な庶民が住んで居る訳で,お香典を頂くのも心苦しい訳であります。
いや、葬式は儲かる・・・それは,会社関係で無理矢理縁もゆかりも無い人達を大量に集めて、香典を頂いても軽いお返しでと言う,そんな手を使えば儲けも出ましょうが,おさんら平民で,質素を旨としてやった場合は,結構な負担となるのであります。
いや、そのくらいの蓄えは婆様の財布から出て来るんですけれども・・・葬式仏教と,葬儀屋のシステム,恐るべし,と。
で,彼の著書に「誤解だらけの仏教」と言う本があって,葬式について述べている行があります。
で,簡単に言うと,彼は葬式を肯定して居ると言いますか,葬式仏教と揶揄される仏事と坊主も肯定している訳であります。
人生最後の式典としてちゃんと勤めるのが良いと,宣っている訳ですが,自分は僧侶として一生葬式に関わるつもりは無い,とも書いている訳です。
で,葬式肯定の行に来る前には,ちゃんと、仏教は本来,葬式やお墓と関わらなかった,と、書いている訳です。
あんまし読解力の無いおっさんとしては、お前様の言いたい事がわからないんだけれども・・・ホントは仏教と葬式は無関係で,自分は関わりたく無いと思うけれども,巷の凡夫どもは,ケジメと言う意味での葬式も悪く無かろうと,言っているのか? と,言う感じで良い訳ですか? と、なるんだけれども釈然とはしない。
ホントは仏教と葬式は関係ないんだけれども,いまはそう言う事になっちまって,現実としてこうなんだから,まっ、お前等訳のわからない凡夫はやっとけばよろしいと言う事なのか?
おいおい・・・バカにするなよな,と,怒鳴りたくなるんですけど。
で,おっさん,葬式をやる事に文句がある訳でもなく,お釈迦様の教えと葬式が無関係なのに坊主が出て来て今日は,と言うのが嫌な訳でもない。
ただ,本来は仏事でもなんでも無い儀式に仏様の意向をかさに着て無知な小市民を騙す形で金を巻き上げようとする,商業主義的葬式に異議を唱えたくなっちまう訳であります。
戒名など摩訶不思議な話しで,院号なんてのは・・・院とは寺の事で,寺を建てて仏様に帰依した仏道に居たものに与えられるものであったのが,いつの間にやら地獄の沙汰も金次第なんて事でか,皆して戒名は一文字でも多い方が良い,なんて事になっちまっている訳です。
ちなみに今時はインターネットで格安の戒名を買う事が出来ますけど。
例えば・・・親鸞の言葉を信じるとすれば,南無阿弥陀仏と唱えようと思えば話しは終わっちまう訳で,それで仏様の国へ行ける訳で,そこで戒名による位付けがあるなんて事は宣っていない訳です。
で,49日は仏事と言う事になってますが,それ以外の法要は大半が後付けの無関係であります。
ナンとなれば,お釈迦様は魂とか例と言う存在は否定している訳で,49日であの世に辿り着いたからもうお終い・・・で,序でに言うと,輪廻転生もお釈迦様は語らなかったんですけれども,インド仏教では49日が過ぎればまた転生して来るんで,墓も要らなかったし,法要も無い訳です。
供養・・・もうお浄土で仏様となっている存在を,娑婆で餓鬼道に苦しむ凡夫が供養など出来るはずも無いじゃありませんか。
一本箸の飯・団子・枕銭・末期の水・死に装束・・・全部日本独自の,それも江戸の中期以後の仕来りでして,中国の仏教にも無いそうです。
49日までの七日毎の供養は一応仏事とされていますが,百か日や一周忌は儒教から来たものと考えられています。
先日,坊さんと会食をした時に一番先に食べたのが刺身でありました。
まっ、車で来たので酒は飲みませんでしたが,密教の坊さんが不飲酒戒を破る姿はおっさん的には嫌なので見なくて良かったと思いました。
いや、何をゴチャゴチャ宣って居るんだと言う声が聞こえそうでありますが・・・要するに,銭が掛かり過ぎるだろう・・・そして,参列者の香典も皆様の負担であり,亡くなった婆様の望む所ではなかったんじゃないか?と,思っている訳です。
金持ちで,こんな葬式屁とも思わない人は良いと思います・・・で,貧乏人のおっさんが住む団地では,こう言っては失礼だけれども,やっぱし,似た様な経済的な庶民が住んで居る訳で,お香典を頂くのも心苦しい訳であります。
いや、葬式は儲かる・・・それは,会社関係で無理矢理縁もゆかりも無い人達を大量に集めて、香典を頂いても軽いお返しでと言う,そんな手を使えば儲けも出ましょうが,おさんら平民で,質素を旨としてやった場合は,結構な負担となるのであります。
いや、そのくらいの蓄えは婆様の財布から出て来るんですけれども・・・葬式仏教と,葬儀屋のシステム,恐るべし,と。
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