まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

上田のまちめぐり

2022-06-05 19:44:54 | 建築まち巡礼中部 Chubu

サントミューゼを見た後、汗だくになりながら、上田のまち巡りを楽しみました。

まずは上田城。堀が実に深く城壁が高い驚きました。確かに、堅固な守りです。

 

 

 

お城から旧北国街道、柳町に向かいました。下写真のような越屋根の町家があります。まさか蚕?

 

柳町に入ると、一気に雰囲気が変わります。上田は水を生かしたまちなんですね。

駅前まで来ると、みすず飴本舗飯島商店。大正13年(1924)築の登録有形文化財です。木造ですが、表面は左官で玉砂利入りモルタルの洗い出し仕上げ(石目地仕上げと呼ぶそうです)。当時は蚕種の売り上げが日本一になった時代です。道路拡幅前まではこの通り沿いに、このような華やかな木造ビル?がたくさんあったということがネット上の登録文化財の紹介ページに出ていました。多くの商店が壊される中、飯島商店さんは、きちんと建物を残すためにわざわざ曳家をされたそうです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design


上田建築巡り サントミューゼ

2022-06-05 19:27:36 | 建築まち巡礼中部 Chubu

 

上田市の複合文化施設、サントミューゼに立ち寄りました。この名前も蚕都=サントということなんですね。

第二国立劇場を設計された柳沢孝彦さん設計です。

 

 

不思議な、面白い配置です。前面の回廊(常田館に続いての登場です)が小さな施設群をつないでいるように見えます。劇場などの大きなボリュームはその背後に控えているという感じです。下写真の配置図を見ると全体像が把握できます。

 

大回廊が囲んでいますが、ところどころ外に視線も抜けます。いいですね。

 

また、円形で大きくつなぐと、下手をすると道の駅のような感じになってしまいそうですが、下写真のように小さな会議室や子供ルームを家のかたちでぽつぽつと置くことで、みちにいろんな建物がつながっている「まち」という印象を生んでいます。形態としてのインテグレーションに成功しているかどうかはひとまず置くとしても、意図はよくわかります。

何より内部空間がすっきりとして気持ちがいいです。ホールへの入り口なども大変分かり易い。

この日は大変暑くて、歩くのにくたびれていましたが、ちょっと足を延ばして正解でした。きちんとした分かり易いコンセプトで勝負する建築は、潔くて、好感が持てます。学ばせていただきました。

 


信州上田の素晴らしい建築(2)常田館製絲場の建築群と回廊

2022-06-05 18:16:48 | 建築まち巡礼中部 Chubu

別所温泉の素晴らしい建築(柏屋別荘と倉沢蚕室)に引き続いて、上田市内の常田館製糸場を訪ねました。

新幹線の駅に近いところに、下写真のような建築が堂々とした姿を見せています。重要文化財の「四階繭倉庫」(1910)です。まさに蚕都上田です。

工場の中を見学することができます。上写真の建物は非公開ですが、重要文化財の3つの建物を見ることができます。まずは「五階鉄筋繭倉庫」(1926)。アールデコっぽいデザインを感じます。

中はRCの堅固な作りです。

前面の回廊で、隣の木造の繭倉庫と結ばれています。

離れてみると、結構サマになる姿、立ち姿です。

前回のブログで紹介した、倉澤蚕室(1920)と共通する外観です。漆喰の白い壁と各層につく、霧除け庇。こちらの方が古くて、左側の「三階繭倉庫」が1903年、右の「五階繭倉庫」が1905年です。構造的には土蔵造りということになるようです。

回廊を通り、繭倉庫に入ります。急な階段で上階に導かれます。

基本的に倉庫です。規則的に柱が並びますが、桁行方向、三間毎に太い通し柱です。

最上階に来るとトラスの小屋組みもきれいに見えます。

柱に貫穴のように見える小穴は、下の解説写真を見るとよくわかります。蚕棚を載せるための仕掛けです。

外を眺めると、工場の全景(一部?)が見えます。正面の平屋は繰糸棟です。かつては同じような棟が何棟も軒を接していました。

下写真の右手に見える煙突も市の指定文化財で、同時に国の近代化産業遺産にもなっています。

信州では、諏訪地方、岡谷とか塩尻などが蚕糸業の中心だというイメージがありました。上田が蚕都と呼ばれた一大産地であったことは、恥ずかしながら今回の旅で知ることになりました。上州との関係、日本海側や東北の蚕糸地帯との関係など、少し勉強をして、頭の中を整理する必要がありそうです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

 


信州上田の素晴らしい建築(1)別所温泉柏屋別荘と倉沢運平蚕室

2022-06-05 16:38:37 | 建築まち巡礼中部 Chubu

都市環境デザイン会議のシンポジウムを拝聴のため、信州上田、別所温泉を訪れました。

会場は何と木造4階!建て、柏屋別荘。

別荘が開業したのは明治43年(1910)。この木造4階建ての本館は昭和2年(1927)築です。有島武郎や川端康成も宿泊して執筆をしたという由緒ある旅館です。下の写真はお隣から撮影しましたが、素檗庵(そばくあん)というこの旅館で最も古い建物。文化6年(1806)年の建物です。旅館全体が立派な文化財です。

中は増築や改築が繰り返され大変複雑です。しかし、それ故に、旅館独特の奥に入り込んでいく感覚も十分堪能できます。槇文彦氏が言う建築の中で奥に分け入る体験です。子供のころは、旅館を探検するのが大好きでした。小説にも、ふすまを開けて次の部屋に行くとさらに次ぎの部屋があり、永遠に出られなくなる‥というのがありました。一人だと迷ってしまいそうな複雑さが、面白い「旅館体験」をさせてくれます。

下の写真は、本館4階からの眺め。右手に眺めることのできる、不思議なお城のような建物も見学させてもらいました。

この建物は、大正9年にできた蚕室。蚕種業のために蚕を育てるための建物です。構造としては塗屋ということになるのでしょうか。立派な石垣の上に載っています。蚕種の製造では上田は日本の中でもトップシェアを誇っていたそうです。

案内してくださったボランティアの方。ダジャレを言うたびに自分で照れていました。後ろに見えるようにこの建物を建てたのは倉澤運平(1866-1934)。上田の蚕種産業の中心を担った方だそうです。

この建物の地下には、建物内に暖気を送るための炉があります。今は練炭が置いてありますが、薪をくべていたかもしれません。ここから煙道を通り上階へ、暖かい空気が登ります。

漆喰で仕上げられた縦ダクトに木製の横ダクトが接続しています。

 

下写真のように廊下(縁)から室内に床下で導かれます。

 

蚕がいる1,2階では床に導かれます。今でいうダンパーも付いています。木製、手動ダンパーです。

私たちも床下(スラブ下やスラブ上で床仕上げとの間のスペース)を冷暖房の空気の通り道として使いますが、倉澤さんはこの時から、この方式をお使いだったんですね。また下写真のように、部屋の中でも空気の流通をコントロールできるような仕掛けをしていました。山を背負った地形ですので、夏でも涼しい風が入ってきたと想像できます。

天井からも暖気を抜いたりできるようになっています。からくり屋敷のようです。

建物としての小屋組みも立派です。

棟札もあります。

地下は暖房装置の部屋だけでなく、貯桑庫もあります。

今も、お孫さん(お医者さん)がこの建物をきちんと守っておられます。

 

19世紀半ば蚕の病気により、ヨーロッパの蚕糸業が大打撃を受け、日本中で蚕種業が盛んになったそうです。日本中が、蚕で活気づいていた時代があったのでしょう。説明をしてくれたダジャレ好きのボランティアの方は、生糸産業で外貨をえて、兵器を買うことができた、その結果が第2次世界大戦に至るのだと説明してくれました。蚕は、幕末から昭和までの日本の歴史を語ってくれる大切なファクターであるのです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

 


ブルーノタウト:机と椅子

2022-01-23 01:13:09 | 建築まち巡礼中部 Chubu

熱海で活動されているブルーノタウト連盟の水之京子さん(写真家・作家・ダイビングインストラクター)が下のような写真を送ってくださいました。その時は、初対面で知らなかったのですが、プロの写真家です。ありがたく、また恐縮の極みです。

タウトデザインの椅子に座って得意げな表情の私。椅子に座ったからといって、設計がうまくなるわけではないのですが・・・。

この椅子は、地元のお蕎麦屋さんが保存しています。お蕎麦屋さんの建物は、タウトが日向さんの依頼で旧日向別邸を設計しているときに、ちょうど日向氏が軽井沢から移築してきたもの。椅子があるのは屋根裏部屋ですが、屋根裏とは思えない、素敵な造作の部屋です。ちなみにタウトは(日向氏が用意した)別の民家に滞在したようです。このイスとテーブルはタウトが滞在した民家に合わせて、地元大工さんが作ったものだそうです。

いすに腰掛けた時ふいに、初めてタウトという建築家を意識した時の記憶がよみがえってきました。ずいぶん前に雑誌SDの特集号を見た時の記憶です。ネットで調べてみたら78年の12月号でした(雑誌SDのバックナンバーは、昨年調布へ引っ越したおりにどさっと捨ててしまいました)。78年に見たのが日向邸の洋間で誰か(貫禄のあるお年寄り?)が座っている写真だったような気がします。今度、雑誌を探して読んでみようと思いました。

ちなみに、上の写真は、アールトの自宅兼事務所(ヘルシンキ)でアールトの席に座っている私。少し緊張していますね。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design