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弘前には前川建築以外にも見るべきものが多いことは先に述べたとおりです。中でも明治期の木造洋館の宝庫でもあります。
明治期の木造洋館、あるいは初期の儀洋風建築といえば、私の関係する東北公益文科大学大学院のある鶴岡市や山形県も間違いなく宝庫と言って良いでしょう。明治期の土木県令三島通庸は堂々とした洋風公共建築を文明開化あるいは明治政府権力の象徴として多く建設しています。とりわけ山形県内には多くの名作が残っています。
その担い手として活躍したのが鶴岡生まれの名工高橋兼吉です。そして高橋と同じ1845年に生まれたのが弘前で活躍した堀江佐吉。彼の晩年の作品が日本キリスト教団弘前教会です。
入り口の解説によると設計は敬虔なクリスチャン大工の桜庭駒五郎、施工は佐吉の四男斉藤伊三郎となっています。佐吉は1907年の竣工を見ることなくなったそうですが、洋風木造建築の研究者である江口俊彦氏は設計したのは堀江佐吉であるとしています(『洋風木造建築』理工学社p261)。
解説看板にも書いていますが、バラ窓こそないもののパリのノートルダムを誰しも思い出すようなファサードです。ゴシック式のバットレスもあります。江口氏によるとフ正面ファサードにあるポインティッドアーチが安定感と軽やかさをうまく表現しているということですが、私はそのポインティッドアーチの開口部の向こうにあるものに驚いてしまいました。中に入ってみるとした写真のような和室です。
ゴシック建築を象徴するポインティッドアーチからの光はたたみの部屋を明るく満たしています。鶴岡のカトリック教会(1903築、パピノ神父設計、重要文化財)の身廊部に畳が敷き詰められているのを思い起こしました。
内部は何様式というのか分かりませんが、側廊もないシンプルなつくりです。材料は地元のヒバだそうです。
ここでも大変親切に中まで招き入れてくださいました。最初の教会は1875(明治8年)に東北最古のプロテスタント教会として設立されたそうです。設立時のイング宣教師は津軽のりんご栽培にも関係した方だとのことです。
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高谷時彦記 Tokihiko Takatani