まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

弘前建築めぐり09外人教師館とミニチュア館

2016-03-20 18:28:09 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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お城の周りには市役所だけでなくさまざまな時代の歴史的建築に出会うことができます。

旧東奥義塾外人教師館は1901年竣工の県の文化財。写真で分かるように基礎はレンガ積みです。

市の観光地図などには記載がありませんでしたが、これも施工は堀江佐吉とのことです(日本建築学会編『日本の建築1』p203)。設計はメソジスト伝道本部。

私がよいなと思ったのは階段ホール(下の左写真)や「ベランダ」(下の右写真)です。ブランコのある「ベランダ」で遊ぶ子供の喜ぶ姿が目に浮かぶようです。

それから弘前では県の文化財などが当たり前のようにカフェなどで利用されているところです。外観しかありませんが南の温かい部屋でコーヒーが楽しめます。

ところでこの建物のすぐ隣に不思議な展示館?がありました。単管足場建築によるミニチュア展示場!

外観とは関係なく展示品は優れものです。下右図のように前回記事で紹介した第五十九銀行の屋根の持っている少々オリエンタルな不思議な感じもこれを見るとよく分かります。

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弘前建築めぐり08堀江佐吉の図書館と銀行

2016-03-20 17:25:08 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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引き続き堀江佐吉です。

1906年竣工の旧弘前図書館も二つの塔が特徴です。弘前教会の双塔の頂部がバトルメントという凹凸のある壁であったのに対し、こちらでは金属板で葺かれたドームが乗っています。塔は8角形の平面をしており、前掲の江口俊彦さんによると中央部のマンサード屋根と塔が水平要素(コーニス)でつながれているところに特徴があります。市の設置した看板には洋式建築の技法が非常に高い水準に達していたことが分かる建物とかいてありますが、塔と言う垂直性を強調すべきものを単純に取り扱わないところなどにも佐吉デザインの円熟味が出ているということでしょうか。

 

中に入ると2階が一般閲覧室です(下の左写真)。一方婦人閲覧室は1階の小室です(下の右写真)。小さいけれども雰囲気はよかったことでしょう。

正面左の塔の内部は階段室です。案内看板には全体はルネサンス様式で随所に和風が採用されているとのことでしたが、いわゆる儀洋風のような時期はもう過去になっていたのだと思います。

図書館のすぐ近くに1904年竣工の青森銀行記念館(旧五十九銀行)があります。

かなりきちんとした古典様式にのっとった建物です。重要文化財です。ただ屋根の部分を見ると少しオリエントを感じさせる造形が垣間見えます。

市(あるいは観光協会?)HPの解説によると木造の外壁に瓦を張りそのうえに漆喰(45t)で仕上げているとのこと。残念ながら開館時期をはすしていたので見学できませんでしたが内装には金唐革紙がオリジナルの状態で使われているそうです。

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弘前建築めぐり07堀江佐吉の教会建築

2016-03-20 16:25:11 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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弘前には前川建築以外にも見るべきものが多いことは先に述べたとおりです。中でも明治期の木造洋館の宝庫でもあります。

明治期の木造洋館、あるいは初期の儀洋風建築といえば、私の関係する東北公益文科大学大学院のある鶴岡市や山形県も間違いなく宝庫と言って良いでしょう。明治期の土木県令三島通庸は堂々とした洋風公共建築を文明開化あるいは明治政府権力の象徴として多く建設しています。とりわけ山形県内には多くの名作が残っています。

その担い手として活躍したのが鶴岡生まれの名工高橋兼吉です。そして高橋と同じ1845年に生まれたのが弘前で活躍した堀江佐吉。彼の晩年の作品が日本キリスト教団弘前教会です。

入り口の解説によると設計は敬虔なクリスチャン大工の桜庭駒五郎、施工は佐吉の四男斉藤伊三郎となっています。佐吉は1907年の竣工を見ることなくなったそうですが、洋風木造建築の研究者である江口俊彦氏は設計したのは堀江佐吉であるとしています(『洋風木造建築』理工学社p261)。

解説看板にも書いていますが、バラ窓こそないもののパリのノートルダムを誰しも思い出すようなファサードです。ゴシック式のバットレスもあります。江口氏によるとフ正面ファサードにあるポインティッドアーチが安定感と軽やかさをうまく表現しているということですが、私はそのポインティッドアーチの開口部の向こうにあるものに驚いてしまいました。中に入ってみるとした写真のような和室です。

ゴシック建築を象徴するポインティッドアーチからの光はたたみの部屋を明るく満たしています。鶴岡のカトリック教会(1903築、パピノ神父設計、重要文化財)の身廊部に畳が敷き詰められているのを思い起こしました。

内部は何様式というのか分かりませんが、側廊もないシンプルなつくりです。材料は地元のヒバだそうです。

ここでも大変親切に中まで招き入れてくださいました。最初の教会は1875(明治8年)に東北最古のプロテスタント教会として設立されたそうです。設立時のイング宣教師は津軽のりんご栽培にも関係した方だとのことです。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


弘前の建築めぐり06毛綱毅曠の百貨店

2016-03-19 23:41:41 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前回までのブログで、前川國男さんの建築は報告してしまいました。しかし、このほかにも大変面白い建築がまちの中にはたくさんあります。

中心商店街を歩いてみると、なんと毛綱毅曠氏の百貨店がありました。青森に本社のある中三(百貨店)弘前店です。1995年築だそうです。

ポストモダンの時代に、老舗百貨店も新しいチャレンジを行ったのだと思います。

この町を歩いていると他にも面白い建物に出会いました。左下の写真は婦人服のショーケースですが、どうしてもお地蔵さんを収める祠(お堂?)を改装したように見えてなりません。右写真は唐突に屋根から飛び出る時計塔です。商店主の気概が伝わってきます。いいですね。

こんな店舗看板も面白いと思いました。少なくとも私は始めてみました。またこの町には電柱がないなと思っていましたが、電線は地中化されトランスがずいぶん高いところにありました。これならあまり景観を阻害しないということでしょうか(右の写真)。

ベネチアンウインドウのような3連窓があり、新しいのか古いのかわからないようでいて、不思議な魅力を発している店もあります。

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弘前の建築めぐり05晩期の前川建築と寺町

2016-03-19 22:51:36 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 

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市外の西のはずれにある斎場。1983年築。前川はこの三年後に亡くなるので晩期の作ということになります。

ちなみに弘前市はこの建物を景観法に基づく景観重要建造物に指定することで敬意を表している(のだと思います)。

 

宮内嘉久によると

「弘前市斎場のたたずまいの裡に、筆者(宮内)は前川國男の最後を飾る、そして後から来るものへの問いを秘めた結晶を観たのである」(『前川國男 賊軍の将』晶文社p172)。また「前川國男の晩節を飾る珠玉の小品」(上掲書p176)であるからには中を隅々まで見たかったのですが、残念ながら火葬の最中であり、関係者の気持ちを汲むと早々に外に出ることにしました。

外にでると寺町。雑踏の中にある都会のセレモニーホールとは格段に異なる環境です。ちなみにこのあたりからは岩木山が美しい。参列者の気持ちにも訴えるものがあるのではないでしょうか。

 

この寺町は不思議なことに曹洞宗のお寺だけが並びます。

 螺旋式に上っていくさざえ堂もあります。会津を思い出しました。また不思議な窓の並びのお堂もありました。少し調べてみるとさらに楽しく歩けそうな寺町です。弘前には観るべきものが尽きません。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani