まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

弘前の建築めぐり06毛綱毅曠の百貨店

2016-03-19 23:41:41 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前回までのブログで、前川國男さんの建築は報告してしまいました。しかし、このほかにも大変面白い建築がまちの中にはたくさんあります。

中心商店街を歩いてみると、なんと毛綱毅曠氏の百貨店がありました。青森に本社のある中三(百貨店)弘前店です。1995年築だそうです。

ポストモダンの時代に、老舗百貨店も新しいチャレンジを行ったのだと思います。

この町を歩いていると他にも面白い建物に出会いました。左下の写真は婦人服のショーケースですが、どうしてもお地蔵さんを収める祠(お堂?)を改装したように見えてなりません。右写真は唐突に屋根から飛び出る時計塔です。商店主の気概が伝わってきます。いいですね。

こんな店舗看板も面白いと思いました。少なくとも私は始めてみました。またこの町には電柱がないなと思っていましたが、電線は地中化されトランスがずいぶん高いところにありました。これならあまり景観を阻害しないということでしょうか(右の写真)。

ベネチアンウインドウのような3連窓があり、新しいのか古いのかわからないようでいて、不思議な魅力を発している店もあります。

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弘前の建築めぐり05晩期の前川建築と寺町

2016-03-19 22:51:36 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 

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市外の西のはずれにある斎場。1983年築。前川はこの三年後に亡くなるので晩期の作ということになります。

ちなみに弘前市はこの建物を景観法に基づく景観重要建造物に指定することで敬意を表している(のだと思います)。

 

宮内嘉久によると

「弘前市斎場のたたずまいの裡に、筆者(宮内)は前川國男の最後を飾る、そして後から来るものへの問いを秘めた結晶を観たのである」(『前川國男 賊軍の将』晶文社p172)。また「前川國男の晩節を飾る珠玉の小品」(上掲書p176)であるからには中を隅々まで見たかったのですが、残念ながら火葬の最中であり、関係者の気持ちを汲むと早々に外に出ることにしました。

外にでると寺町。雑踏の中にある都会のセレモニーホールとは格段に異なる環境です。ちなみにこのあたりからは岩木山が美しい。参列者の気持ちにも訴えるものがあるのではないでしょうか。

 

この寺町は不思議なことに曹洞宗のお寺だけが並びます。

 螺旋式に上っていくさざえ堂もあります。会津を思い出しました。また不思議な窓の並びのお堂もありました。少し調べてみるとさらに楽しく歩けそうな寺町です。弘前には観るべきものが尽きません。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 


弘前の建築めぐり04博物館と緑の相談所

2016-03-19 22:44:10 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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博物館は現在閉鎖中で入れませんでした。1976年築。

いわゆる前川風の安心して見られるスタイルです。

ここは旧城址である弘前公園の南のほうにありますが、ここから北に向かうと緑の相談所(1980築)があります。

大きな屋根とレンガタイルが特徴的です。中もどうぞ見てください、写真もokですよと係りの方が言ってくれます。前川建築を見てもらうということが市民に定着しているようです。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 


弘前の建築めぐり03こぎん研究所

2016-03-19 21:48:16 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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旧木村産業研究所(こぎん研究所)は、1932年の竣工です。

前川國男がコルビジェの元から帰ってきての第一作だとのことです。

 

私たちが思う前川風というよりはコルビジェ風。

 

 

ラロッシュ・ジャンヌレ邸などを髣髴させます(といっても見ていませんが・・・)。

中に入りたかったのですね。上記写真中央部にいらっしゃる前川國男さんもお入りなさいといってくれていたのです(実際は京都会館の現場での写真)が、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。ホールの中から外を見るとさぞかし開放的で、当時の弘前の人たちを大いに驚かせたのではないかと思います。

残念な気持ちを胸に弘前城のほうに歩いていたら下左の写真のような建物がありました。コールテン鋼の渋い赤と白い壁は似合いますね。実はこの近くにはこんな(下右写真)近代建築もありました。弘前は歩いて飽きることがない町です。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

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Tokihiko Takatani 

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 


弘前の建築めぐり02市民会館

2016-03-19 20:01:58 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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弘前市民会館は1964年竣工。

54年神奈川県立音楽堂、59年世田谷区民ホール、60年京都会館、61年東京文化会館、そして64年の弘前市民会館とこの時期に前川國男は多くのホール建築をつくっています。

 

少し話が飛びますが、古い 市民会館が今も使われているというのは大変うらやましいことです。

私の生まれ故郷の高松市市民会館は1961年(東京文化会館と同じ年)に当時としては四国一(と大人たちが言っていたような?)の1,500席のキャパシティで誕生。中学時代の部活動で時々ステージにあがっていたことが懐かしい思い出となっています。しかし今は跡形もありません。

ホールというのは時代を反映する(ブームがある)ビルディングタイプです。50年代から60年代の前半は「市民会館・公会堂タイプ」のホールが全国的にたくさん作られた時期です。

残る建築とあっさり見捨てられる建築・・・・・何が違うんでしょうか?。

建築史家・建築家の藤森照信氏は「本当に優れた建築は、つくった人や時代の意図を越えて、後の世に新たに発見されるような質を潜在させている。つくった人と時代の意図しか入っていない建築は、その人が死に時代が過ぎれば忘れ去られる」(『フジモリ式建築入門』ちくまプリマー新書、p128)といっています。蓋し至言。クワバラ、クワバラ・・・・・自戒、自戒・・・。

残念ながらホールの中に入ることはできませんでしたが、京都会館や東京文化会館につながる雰囲気です。昔からあるのだと思いますが、2階の食堂がなかなかよい味を出しています。コーヒーでも飲みたかったのですが、見たいものがたくさんあって、2日間ともきちんと食事を取ることもせずに歩き回っていました。

市民会館は、ホール棟と食堂・管理棟が長い回廊で結ばれています。右上写真の上から食堂・管理棟、回廊、ホール棟と続きます。その下にあるボリュームは今休館中の博物館です。

外観は前川さんとしては繊細でプロポーショナルな要素が卓越しているように思います。私自身はこういうスケール感を好みますが、一方では前川さんらしくブルータルなものと繊細なものが共存(対比的併置?)していて欲しいという思いもあります。ちなみに型枠は青森産のヒバだと市のHPの案内にあります。

同じくHPにこんな言葉がありました。竣工に当たって寄せたものだそうです。

「かつてヨーロッパの中世の市民はこうして彼ら自身の美しい町を築き上げてきました。現代都市を築き上げるものは市民社会の「市民の心」であって決して「予算」ではありません。この市民会館の建築もこうした立場にたって私どもの微力を尽くしました」

 

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高谷時彦

Tokihiko Takatani 

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata