まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

弘前建築めぐり13拾遺・・・

2016-03-20 22:34:56 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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ようやく弘前建築めぐりの報告も最終章です。

町を歩いていて気になる建築を並べておきます。弘前に行ったのにお城を見ていないのかといわれそうですがお城は今あるべきところから曳き屋されていました。左下写真の石垣の上にあるはずですが、石垣の修理工事のため平場に下りています。

記事の中で私は「寒い」という言葉を何度も使いしましたが、このお堀の写真を見ていただくと実感いただけると思います。

続いて石場旅館。1879(明治12)年築、登録文化財です。

この二つは寺町の端で出会いました。不思議な感覚になります。

昇天教会。1920(大正9)年築。立教(高校?)の校長も勤めた米人ガーディナー。施工は林緑棟梁。フランス積みレンガのゴシック様式。

教会のすぐ近くにあるのがまちなか情報センター。サテライトスタジオもあります。高校生の勉強場所になっています。

 

最後になりますが、ちょっとさびしい風景。駅と中心商店街をつなぐプロムナード。立派な彫刻もあるのですが・・・・。日曜の午後です。

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弘前建築めぐり12忘れられない建物2つ

2016-03-20 21:38:33 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前々回あたりの記事で「堀江佐吉関連の建物はこれで終わり」と書いたような気がしますが、訂正です。

弘前教会を探していたときに、不意にこの建築に出会いました。

フランクロイドライトです。しかも中央部には和風建築。

 

和館も立派な近代和風です。そして洋館のほうに接近してみましたが、やはりライトです。

どういうことでしょうか。しかも次のサインを見て大変驚きました。この旅館・料亭は旧高谷家だというのです。

日本建築学会の『日本の建築1』に出ていました(p208)。この建築は旧五十九銀行の頭取高谷(たかや)氏の別邸として1934(昭和9)年に作られたものです。設計は堀江佐吉の長男彦三郎、施工は堀江組です。高谷さんのなかにも偉い人がいらっしゃるんですね。

偶然見つけたので少々得をしたような気持ちで歩いていましたら、次のような建物が・・・。

上ってみます。三階には理髪組合があります。まさに似合っていますね。

下のほうにはお店があります。モダンジャズを聴きながらシードルを一杯だけ飲みました。りんごの産地にはシードルが多いようです。

シードルとはブルターニュのお酒だと聞いたことがありますが、そうでもないのですね。

こネットで調べるとこの建物は1927年築の三上(旧無尽社)ビル。弘前で2番目のRC(鉄筋コンクリート)造。当時の弘前は経済、文化の先進地(もちろん今でもそうです)ですから東北でもかなり早いほうのRC建築でしょう。

 

 

外に出てみると日が落ちてネオン看板がともっています。いいですね。映画酒とバラの日々の悲しいラストシーンですね。看板の右上の2階でシードルをいただいたようです。

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弘前建築めぐり11仲町伝統的建造物群保存地区

2016-03-20 20:52:27 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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前川國男と堀江佐吉という偉大な建築家、棟梁の作品は前回までのブログで紹介しました。

今回は趣が変わり、まち並みの話しです。

これまで取り上げた建築はすべてお城の南側にありますが、北側に重伝建地区があるというので足を伸ばしました。弘前城の追手門(亀甲門)は北側にあったそうです。お城の北に面して一筋が町人町(弘前で一番古い亀甲町)、その北側に碁盤目状に屋敷割りを行った上で武士を住まわせました。

まずは、亀甲町の巨大な町家に驚きました。重要文化財石場家住宅です。こみせも長いですね。

一筋の町人地を過ぎるとこのような風景が展開します。

板塀やさわらの生垣、薬医門などが残っています。そのときは気づきませんが、パンフレットによると玄関までの飛び石も残っているそうです。

一部のお宅は市の所有で見学ができます(写真の門と内観は別の住宅です)。

今鶴岡で羽黒手向のまち並み整備に関わっているので、電柱、電線がない(見えない)こと、ガレージの色彩が統一されていることなどが印象に残ります。

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弘前建築めぐり10これも堀江佐吉由来の建築

2016-03-20 19:40:53 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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堀江佐吉(絡み)の建築だとは知らず見学したものを二つ。

ひとつは藤田記念庭園。藤田謙一氏は初代の日本商工会議所会頭です。パフレットによると1921(大正10)年に建てさせたとあります。

これも佐吉の子供である金蔵と彦三郎の設計施工だそうです。

 

外観(上の左写真)を見るとイギリスの田園住宅のような趣。南側には広いサンルーム(喫茶室)があり、不思議なトスカナ風のオーダー。何かに印象が似ていると思ったら、渋沢栄一の誠之堂・・・屋根とそこから突き出す塔。

誠之堂は1916年。商工会議所会頭の藤田謙一氏は渋沢栄一を当然よくご存知だったはず。しかしまったく根拠のない類推です。

いずれにしても、大正時代という時代性を反映しているように思います。第一次世界大戦跡の好景気、ハワードの「田園都市」が紹介され日本でもまずは上流層が田園での暮らしを求めるようになり、アメリカやイギリスの郊外住宅に範を求めつつも、新しいタイプの住宅を模索していた時期ではないかと思います。

庭園のほうには立派な和館があります。

お金持ちは洋と和をうまく使い分けていたわけです。

この庭園のすぐ隣には旧第八師団長官舎があります。これも佐吉の長男、彦三郎の手になるとのことです。1917年築です。イギリスのチューダー様式が上層家族の邸宅に取り入れられていた時期の建築ということでしょう。

この建物はありがたいことにスターバックスになっています。弘前では歴史的建築を本当にうまく活用して、市民や観光客が使えるようになっています。

中は大胆に改装しています。でも和室の面影はあります。歩き疲れ、また体も冷え切っていましたので暖かなコーヒーがありがたく感じられました。

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弘前建築めぐり09外人教師館とミニチュア館

2016-03-20 18:28:09 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

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お城の周りには市役所だけでなくさまざまな時代の歴史的建築に出会うことができます。

旧東奥義塾外人教師館は1901年竣工の県の文化財。写真で分かるように基礎はレンガ積みです。

市の観光地図などには記載がありませんでしたが、これも施工は堀江佐吉とのことです(日本建築学会編『日本の建築1』p203)。設計はメソジスト伝道本部。

私がよいなと思ったのは階段ホール(下の左写真)や「ベランダ」(下の右写真)です。ブランコのある「ベランダ」で遊ぶ子供の喜ぶ姿が目に浮かぶようです。

それから弘前では県の文化財などが当たり前のようにカフェなどで利用されているところです。外観しかありませんが南の温かい部屋でコーヒーが楽しめます。

ところでこの建物のすぐ隣に不思議な展示館?がありました。単管足場建築によるミニチュア展示場!

外観とは関係なく展示品は優れものです。下右図のように前回記事で紹介した第五十九銀行の屋根の持っている少々オリエンタルな不思議な感じもこれを見るとよく分かります。

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