まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

カミロジッテ 広場の造形から

2022-07-16 19:23:14 | 建築・都市・あれこれ  Essay

グーグルマップを眺めていたら、ふと思い立って、下のような図をつくってみました。

カミロジッテが『広場の造形』(大石敏雄訳、鹿島出版会SD選書、1983)において、「芸術的基準に従った都市計画」として例示するウィーンの都市空間の改造提案です。グーグルマップを見ると市庁舎、大学、ブルク劇場、議事堂に囲まれた大きな空地、緑地があります。確かに、衛生上の効果などは建物の間隔を離すことで達成できた。しかし芸術的な観点からは失ったことが多いことを嘆いているのです。具体的には広場、空地が芸術的観点から見て、広すぎる、あるいはバランスがおかしいというのがジッテの主張です。そこでその空地の部分に黄色い形で建物を建てる、そうすることによって広場が小さく分割され、より好ましいスケールがえられ、また建築やモニュメントもその効果を最も発揮できるようになるという提案です。これまで、ジッテの本の挿図だけだとよくわからなかったのですが、グーグルマップのおかげで、彼の提案が現実の都市空間の中で確認できました。正直なところ初めて彼の意図を理解できました。

大きすぎない広場が隣接して素晴らしい効果を生んでいる事例は、本の中にたくさん出てきます。例えばベローナのエルベの広場とシニョーリの広場(p67)の関係です。下写真はエルベ広場ですが左手にもう一つ広場があります。素晴らしい演出です。

都市は、美しい形と空間を持つことで、私たちが心豊かに暮らせる器となりえると主張します。ジッテが生きた19世紀後半において、大都市に人口が集中し衛生上の問題や交通混雑などの問題が発生しました。そのために道路を広くしたり広場を設けたりすることが行われました。また効率優先の碁盤目状の都市改造が行われた時期でもありました。ジッテはそれらの改造は仕方のない側面を持つが、機能的な目的と芸術上の目的を一致させることもできるはずだというのがジッテの立ち位置です。

仮に機能優先でつくられたまちも、芸術的な視点で改造をしてくことが可能である、そして私たちの都市空間がより美しくなり、美しい都市空間を通して私たちの誇りがはぐくまれていくというのが『広場の造形』の中で展開される主張です。私も共感するところです。

ただ、改めて言うことでもありませんが、ジッテが前提としている都市空間は私たち日本の都市デザイナーや建築家が取り組んでいる都市空間とは大きく異なるものです。そのため発想の基盤も違ってくるようです。

まず第一に、一度建てられた建築の持続性をどう考えるのか、この点が大きく異なります。ジッテは19世紀後半までに機能優先で建物ができてしまったので、これを壊すわけにはいかない。その存在を前提に、新しいものを付加することで都市空間を変えていこうという発想です。要するに、都市を構成している建築は一度建てられたら、数世紀のオーダーでそこに存在し続けることを暗黙の前提にしています。ですから都市空間の改造も、非常に長期的な視点で行おうというものです。都市空間の改造というといわゆる再開発で、今あるものを壊して作り直そうという発想とはだいぶ違うようです。

第2に建築の建っていない空間が道路や広場の都市空間であるという前提です。芦原義信先生がだいぶ前の本でお書きになっている、ネガ/ポジの関係性があるかないかということです。ポジティブスペースとしての建築の外形ライン、配置を考えることが、道路の形態や広場などのネガティブスペースを同時に考えることになるのが、ジッテの前提です。ポジとネガの空間は反転も可能です。この前提があるから、ジッテは広場の形態を建築の外形の問題として論じることができるのです。しかし日本の場合には、それ以外のあいまいな空間がたくさんあります。

ジッテのウィーンはまさに芦原先生がポジ、ネガの例で挙げていたノリの地図の世界です。しかし日本の空間はあえて挙げるなら下図のような大徳寺の伽藍、塔頭の配置図です。再びグーグルマップにお世話になります。日本人にはなじみやすい配置です。建物と建物の関係や、建物と外部空間との関係性もなじみがあるものです。

もちろん大徳寺の場合は、ジッテが論じている都市空間ではなく一つの敷地の中の配置、むしろ建築空間です。ただ、ジッテがいうようにローマという都市が広場をもつのは、個々の住宅において、個室群がアトリウム(という共有空間を)を持つという構成原理に対応している(p16)とすれば、日本の都市空間を考えるうえで、建築の作り方、建築とその外部との関係などをきちんと押さえておくことには大きな意味があると思います。

うーん、いずれにせよ彼我の発想の違いは相当大きそうですね。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 

 

 


富岡製糸場 繰糸工場など

2022-07-16 15:47:10 | 建築まち巡礼関東 Kanto

二つの繭置所を見た後に、繰糸工場へ。南北方向に平行に配置された2つの繭置所を、東西方向につなぐような位置にあるのが繰糸工場です。これも大きい。これらの3棟で北に開いたコの字型ができています。

棟方向(東西)に長い越屋根(櫓)があるのが外観の特徴です。

 

中に入ってみるとわかりますが、越屋根はハイサイドライトではありません。ほかの蚕建築と同じように換気用です。明かりは下写真のように側面の大開口から入ります。白い色もいいですね。

蒸気機関を動力とする繰糸機です。何メートルくらいあるのでしょう。

(下写真)変則的であった繭置所のトラスと違い、こちらの小屋組みはちゃんとしたキングポストトラスです。

下写真の繰機が動き出すと相当な迫力だと思います。NISSAN製です。機械は富岡製糸所を片倉工業が所有していたころのものだそうです。実に驚いたことに1987年まで製糸をしていたそうです。またその後も建物や機械を壊さずに、きちんと保存していたということには驚きます。

 

工場として眺めても実に興味深いものです。下写真などは、ほかの地域の工場にも多く見られた風景ではないでしょうか。

工場の中の社宅。これも「あるある」ですね。

なんで工場というのは、どこを見ても見飽きないのでしょうか。工場や、小屋、倉庫など、特に見る人を意識して作ったものでないはずですが、ひとを感動させる空間(空間構成)がしばしばみられます。

ところで、富岡製糸場の展示や、紹介映像は大変分かり易く、感心しました。

富岡製糸場はモデルとして国がつくったものですが、「モデル」としてのやう割を十分に果たし、全国に機械製糸工場がつくられていたことが分かります。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 


高崎市、 電気館、シネマテークたかさき

2022-07-16 15:45:09 | 建築まち巡礼関東 Kanto

富岡製糸場からの帰りに、途中駅の高崎で下車し、少しだけまちの中をぶらつきました。

考えてみると、高崎のまちを歩くのは初めてです。

古くからの商店街と思しきアーケード街。人口40万人弱の中格的な都市でも、古くからの商店街はさみしくなっているようです。日曜の夕方です。商店も日曜はお休みですし、商店主の自宅は郊外にあるので、ひっそりとした雰囲気になるのだと思います。平日はもっと活気があるはずです(?)。

覗いてみたかったのが高崎電気館。大正時代にできた由緒ある映画館です。電気館というのは浅草にあった(おそらく)日本でも最も古い映画館と同じ名前ですから、全国にある電気館という名前の映画館は、概ね古くからあるものだと想像できます。なお、建物は昭和のものです。

私の育った町にもこういうのがありました。懐かしいです。映画館は2階にあります。

この電気館(全体)は市の施設です。所有者の寄贈を受けた高崎市が映画館と、研修室、集会所からなる地域交流館として運営しています。私たちがリノベーション設計をして昨年オープンした酒田市日和山小幡楼と同じ仕組みです。映画館は劇場空間として様々な活用が可能です。地域の財産、文化の場(Cultural Venue)です。中心部にあり市民にとって親しまれてきた文化の場(Cultural Venue)を、みすみす失っていくとすると、都市は魅力を失い、結果的には後々に禍根を残すことになるでしょう。地方都市の行政の目の確かさが問われる(試される?)時代になっています。

さてこちら(下写真)は民間の映画館、シネマテークたかさき。新潟のシネウインドもそうですが、ある程度大きな都市では名画座的な運営で、がんばっている映画館があるんですね。素晴らしい。

ほんのちょっと、群馬音楽ホールにも立ち寄りました。アントニンレーモンドの設計。今度時間をつくってきちんと見学しようと思っています。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 

 

 


上州富岡駅から富岡製糸場まで

2022-07-16 15:43:02 | 建築まち巡礼関東 Kanto

初めて富岡製糸場を訪れました。ということで、上州富岡駅も初めての訪問。コンペで選ばれ、注目を集めた駅です。非常に明快なコンセプトで、爽快な気分にさせてくれるいい雰囲気でした。

駅の廻りにバス停やお店など何もないところがいいですね。すがすがしいです。

 

道路の反対側には、製糸関連の工場?を活用した直売所。ここも、すっきりしたさわやかな雰囲気。

駅の近くには建築家の隈氏設計の市役所や、レンガ造のお店もありました。建築とまちを一体に、きちんとデザインしようというマインドが感じられます。隈氏の影響でしょうか。

上州富岡駅から富岡製糸場に向かう途中にはこんな休憩所もあります。

これ(下写真)は新聞社なんですね。面白い。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer

 

 


お蚕さんがつくった建築群を富岡に訪ねる

2022-07-16 15:14:14 | 建築まち巡礼関東 Kanto

先日信州上田を訪ねて、5階建ての木造蚕室などを見た後、どうも蚕にまつわる建築のことが気になります。ということで、富岡製糸場を訪ねました。

まずはお蚕さん。お蚕さんの作り出してくれるものが、明治から昭和にかけての日本の製糸業を支えていたということです。原点ですね。このお蚕さんたちは相当大きいので、間もなく繭に変身するのではないでしょうか。ちなみに目のように見える部分は、皮膚の模様であり、目はもう少し前のほうについています。

明治初期までは、繭が取れる時期が春先に集中していたので、大量の繭を貯蔵する場所が必要だったとのことです。それが、下写真の東置繭所と東置繭所。

 

桁行方向の全長は104.4m、梁間方向は12.3mです。上に見える回廊部分を入れると14m余りとなります。

木骨レンガ壁構造です。柱は300(303)角のように見えます。レンガは、解説がありましたがフランス積みということです。柱の左側と右側で積み方の精度が違うようにも見えます。

中に入ってみます。桁行方向2間毎に尺角の柱が入ります。梁は合わせ梁が柱を抱いているように見えます。

布石のうえにレンガが乗っていて、それを漆喰で仕上げています。

2階は小屋組みが見えます。トラス構造ですが、芯束がそのまま柱となって一階に降りています。照明も工夫されています。

 

 

東置繭所に正対しているのが西置繭所。こちらは、耐震補強がされていました。そういえば、建築雑誌で紹介されていたのを思い出しました。また、2022年度の建築学会作品賞になっていることを後で知りました。大変、工夫されながら補強をしていったことが感じられます。

基本的には、木造の骨組みの中に入れ子状に鉄骨の柱梁からなる構造体を挿入したような形です。

既存の柱を傷めないよう工夫されています。文化財(国宝)ですから、当然後補の付加物は一目で分かるようにしてあるのだと思います。ライティングレールなども仕込まれています。その背後には、木摺下地の漆喰天井が見えます。ナイロングリッドで落下を防いでいます。

開口部が大きく、明るいゾーンもあります。

天井面にはガラスがあり、DPGで組まれています。これも耐震要素です。

大変緻密な作業で感心しました。保存と活用に対する最先端の考え方と技術が適用されているのだと思います。またそれだからこそ建築学会作品賞に値するのでしょう。

ただ、私の正直な感想を言うと、「補強をした」というストレートなメッセージが少々疲れるものでした。私は歴史的建築に大胆に手を入れることに全く反対ではありません。決して目立たないように補強をすべきだと追う意見ではありません。むしろ、現代の時代を明確に刻印することをためらってはいけないと考えるものです。ただ、西繭置所に付加されたものが、あまりにもストレートに「耐震性能の向上」につながっているところに、違和感があるのだと思います。素晴らしい成果だと感心すると同時に、何かもう一つ独自のメッセージを発信してもよいのではないかと思いました。それはデザインした人の個性を感じさせるものであってもよいのでしょうか。デザインされた方の生の感性みたいなものを出してもよかったのかな・・・本当に勝手な感想で申し訳ないのですが・・・そんな思いがしました。

いずれにしても文化財・歴史的建築の補強として、いろんな意味で画期的なものだと思います。新しい地平を感じさせる素晴らしい作品でした。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer