グーグルマップを眺めていたら、ふと思い立って、下のような図をつくってみました。
カミロジッテが『広場の造形』(大石敏雄訳、鹿島出版会SD選書、1983)において、「芸術的基準に従った都市計画」として例示するウィーンの都市空間の改造提案です。グーグルマップを見ると市庁舎、大学、ブルク劇場、議事堂に囲まれた大きな空地、緑地があります。確かに、衛生上の効果などは建物の間隔を離すことで達成できた。しかし芸術的な観点からは失ったことが多いことを嘆いているのです。具体的には広場、空地が芸術的観点から見て、広すぎる、あるいはバランスがおかしいというのがジッテの主張です。そこでその空地の部分に黄色い形で建物を建てる、そうすることによって広場が小さく分割され、より好ましいスケールがえられ、また建築やモニュメントもその効果を最も発揮できるようになるという提案です。これまで、ジッテの本の挿図だけだとよくわからなかったのですが、グーグルマップのおかげで、彼の提案が現実の都市空間の中で確認できました。正直なところ初めて彼の意図を理解できました。
大きすぎない広場が隣接して素晴らしい効果を生んでいる事例は、本の中にたくさん出てきます。例えばベローナのエルベの広場とシニョーリの広場(p67)の関係です。下写真はエルベ広場ですが左手にもう一つ広場があります。素晴らしい演出です。
都市は、美しい形と空間を持つことで、私たちが心豊かに暮らせる器となりえると主張します。ジッテが生きた19世紀後半において、大都市に人口が集中し衛生上の問題や交通混雑などの問題が発生しました。そのために道路を広くしたり広場を設けたりすることが行われました。また効率優先の碁盤目状の都市改造が行われた時期でもありました。ジッテはそれらの改造は仕方のない側面を持つが、機能的な目的と芸術上の目的を一致させることもできるはずだというのがジッテの立ち位置です。
仮に機能優先でつくられたまちも、芸術的な視点で改造をしてくことが可能である、そして私たちの都市空間がより美しくなり、美しい都市空間を通して私たちの誇りがはぐくまれていくというのが『広場の造形』の中で展開される主張です。私も共感するところです。
ただ、改めて言うことでもありませんが、ジッテが前提としている都市空間は私たち日本の都市デザイナーや建築家が取り組んでいる都市空間とは大きく異なるものです。そのため発想の基盤も違ってくるようです。
まず第一に、一度建てられた建築の持続性をどう考えるのか、この点が大きく異なります。ジッテは19世紀後半までに機能優先で建物ができてしまったので、これを壊すわけにはいかない。その存在を前提に、新しいものを付加することで都市空間を変えていこうという発想です。要するに、都市を構成している建築は一度建てられたら、数世紀のオーダーでそこに存在し続けることを暗黙の前提にしています。ですから都市空間の改造も、非常に長期的な視点で行おうというものです。都市空間の改造というといわゆる再開発で、今あるものを壊して作り直そうという発想とはだいぶ違うようです。
第2に建築の建っていない空間が道路や広場の都市空間であるという前提です。芦原義信先生がだいぶ前の本でお書きになっている、ネガ/ポジの関係性があるかないかということです。ポジティブスペースとしての建築の外形ライン、配置を考えることが、道路の形態や広場などのネガティブスペースを同時に考えることになるのが、ジッテの前提です。ポジとネガの空間は反転も可能です。この前提があるから、ジッテは広場の形態を建築の外形の問題として論じることができるのです。しかし日本の場合には、それ以外のあいまいな空間がたくさんあります。
ジッテのウィーンはまさに芦原先生がポジ、ネガの例で挙げていたノリの地図の世界です。しかし日本の空間はあえて挙げるなら下図のような大徳寺の伽藍、塔頭の配置図です。再びグーグルマップにお世話になります。日本人にはなじみやすい配置です。建物と建物の関係や、建物と外部空間との関係性もなじみがあるものです。
もちろん大徳寺の場合は、ジッテが論じている都市空間ではなく一つの敷地の中の配置、むしろ建築空間です。ただ、ジッテがいうようにローマという都市が広場をもつのは、個々の住宅において、個室群がアトリウム(という共有空間を)を持つという構成原理に対応している(p16)とすれば、日本の都市空間を考えるうえで、建築の作り方、建築とその外部との関係などをきちんと押さえておくことには大きな意味があると思います。
うーん、いずれにせよ彼我の発想の違いは相当大きそうですね。
高谷時彦
建築・都市デザイン
Tokihiko Takatani
architect/urban designer