まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

伊藤滋先生の『東京、きのう今日あした』

2022-07-19 15:39:27 | 建築・都市・あれこれ  Essay

図書館でふと手にした伊藤滋先生の著書『東京、きのう今日あした』(NTT出版 2004)。ちょっと古い本ですが、読んでいませんでした。そういえばこの数年は伊藤先生の謦咳に接する機会もないまま過ぎていることを思い起こします。

伊藤先生のお話というと、大変面白いので、その場に対応した話題提供的なお話と思われる向きもあるかもしれません。しかし、この本を読んでも感じるのは、きちんとデータに基づいて、現実に即した議論をしていこうという姿勢です。その場の思い付き的な話にみせて人を笑わせ、引き付けるのは、伊藤先生の話術あるいはサービス精神です。伊藤先生はあくまでも「都市計画家」という立場から、都市の将来の姿を語っています。現実のデータに基づき、そのトレンドの延長上に問題のない静かな道筋を想定し、その線に沿ってコントロールしていこうというのは伊藤先生の言う「役人」の仕事です。また伊藤先生の言う「建築家」は現実を無視した絵を勝手に書いている人種。そして「土木のひと」は権力を行使する人間ということになります。都市計画家は、ビジョンに基づいて現実に大胆に働きかけ、その実現にも責任を果たしていく人種ということでしょうか。

伊藤先生のこの本を読むと、先生が東京に感じている愛おしさみたいなものが伝わってきます。特に庶民の暮らしがつくってきた「まち」には、深い思い入れがあるようです。伊藤先生というと規制緩和に基づいた大規模開発の推進者というイメージがありますが、一方では庶民的な文化、暮らしを大事にしていくことで東京の固有性、アジア的な魅力が維持されるということにも留意されています。そのためにはそういう普通のまちから「容積制」の考え方を取り払い、いわゆる絶対高さ制限でまちの暮らし方の質を保持しようという提案をされています。Jacobsのストリートライフがあるまちです。

一方では、世界と戦う東京には、グローバルな論理でのまちづくりも必要だと述べられています。役人の発想を超えて思い切ってやらなければだめだ(例えば容積率2000%)、ただ、普通のまちは別だよ、そうすべき場所を戦略的に決めていくべきだというのが伊藤先生のお考えです。以前、Mビルの主催する都市塾で講師を務めた時のことを思い出します。まさにグローバル戦略の中での課題設定でした。しかし私は学生さんたちと案を作成すべきA地域の、歴史文化、地形などを知れば知るほど、設定された1000%(さすがに2000%ではありません)の容積率が高すぎると感じてしまいました。全体を統括されていた伊藤滋先生にご相談しました。先生のお答えは「無理するな。地上のかたちは君のイメージの許容範囲の中で作り上げなさい。足りない床面積は地下に埋設したと思ってやれ」というものでした。ホッとしました。それでも、地上に相当のボリュームが出てきましたが、何とか、暴力的にはならずに収まったように思っています。

この本は、比較文化的な視点からの都市論としても面白いものでした。特に最後にまとめてくれている10項目の東京の特徴は興味深いコメントです。文章の前半が負の現実です。前半を見守りつつ改めていきたいというのが伊藤先生の願いだそうです。

1.まちの構造は平凡/何事もなく暮らせる安心感がある

2.文化は二流/文化を楽しむ場所はたくさんある

3.自動車都市ではない/鉄道都市

4.醜い街が多い/清潔である

5.都市設備は複雑/維持管理は優れている

6.きわめて良質な住宅地はない/スラムがない

7.外国人には使いにくい/日本時には使いやすい

8.公共の力が弱い/地主の権利強い

9.再開発は進まない/個別建物の更新は進む

10.世界の物真似都市/東京人は世界から尊敬されたいと思っている

醜く、混雑しているように見えるけど、隠れた秩序があるのでそれを理解することも大事だといったのが建築家、芦原義信先生。西洋の分かり易い論理だけでは、理解できない空間構成の妙を説明しようとしたのが建築史家伊藤ていじ先生や建築家磯崎新さんたちの日本の都市空間。ケビンリンチのイメージマップだけではとらえきれない文化に根差した領域感、空間の理解の仕方があるというのが建築家槇文彦先生たち(恐れながら私もその末席に)の都市へのまなざし。

いままで、いろんな日本空間論、都市空間論がありますが、伊藤先生の東京論も、背後に深い空間論や文化論が控えているように思います。思想といってもよいかもしれません。都市計画家の思想というと、黒谷了太郎や石川栄耀さんのことが浮かびますが、伊藤滋先生のお考えも、もう一度著書などを通して勉強しておきたいと思いました。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer