まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

ボローニャの中心市街地から学ぶこと(2011視察04)

2011-10-02 19:56:24 | 海外巡り South Europe

チェントロストリコから何を考えるのか

<ここでもう一度問います。なぜボローニャに>

ボローニャと私がまちづくりに携わる鶴岡は歴史も都市空間の仕組みも建築も違うわけです。参考になりますか。

上の問いに対してとりあえず次の2つの視点を提示したいと思います。

<歴史的建築の保存と都市計画の関係>

問題は中心部の歴史的雰囲気を目に見える形で今に伝え、同時にそこに人が住み生業を営む中で守ってきた都市の生活文化をどう守り、継承していくかです。それに大きく関係するのが歴史的な建築ですが、文化財行政で保存の対象となる建築、言い換えると修復などを公的な資金で行える建築ということです、の数はいくら歴史都市ボローニャといえども中心部にそれほど多くあるわけではありません。

大多数は文化財ではないが歴史性を伝える普通の建築(群)です。

ボローニャ市では、インタヴューにあった通り、経済活動によるジェントリフィケーションと都心の空洞化が相前後していたようです。それをフィジカルにみると商人と職人が住んだゴシックロット形式の建築がなくなったり、あるいはその特性に合わない用途になることであったわけです。

それにたいしてボローニャ市はNOを突き付け都市計画的な介入Interventionを開始しました。中心部には高級マンションやブランド店だけでなく職人の工房やや小さな商店があり、ボローニャ大の学生を含むいろんな階層の人が住めることが長い目で見た場合のボローニャの活力を生むと判断したのです。

コムーネが社会主義政権であったことも大いに影響していると思います。こボローニャがイタリアのチェントロストリコ政策を大きく転換させたということは間違いありません。

その時に、職人や商店の容器としてはすでに歴史的に確立されたTypeがあり、それが時間とともに進化していく建築形式であるのだから、そのTypeを守ることが必要というのがフィジカルな面での解決法でした。

しかしジェントリフィケーションなどはグローバルな経済現象の中で投機的に進む現象です。これに掉さすのは市といえども難しいのでしょう。ボローニャの都心部では地価が高騰し、市による事業の妨げとなったようです。

実際には集中的に市が介入すると決めた4地区(当初計画は13地区でした)すら完成にまでは至らず、私たちが見せてもらったソルフェリーノとサンレオナルド(小さいのでソルフェリーノを見に行きましょうとLegnaniさんがおっしゃった通り一つの街区だけです)だけが成功例と言えるようです。

なかなか困難であったということはさておき、私が着目したいのは、繰り返しになりますが建築の保存再生がきちんとした都市政策、都市計画の一部として遂行されていることです。この点は大いに学ぶ必要がありそうです。

<建築類型学的方法>

もう一つ考えたい点です。

鶴岡では、ボローニャ中心部のように歴史的建築が軒を連ねているわけではありません。むしろ少数が点在しているということです。

わたしたちが考えないといけないのは、保存再生もさることながら、画一的なメーカーハウスやイージーな「ペナペナ建築」をどう変えていくのかということです。

古いよい例に典拠してそれを模倣しようということでは後世に恥ずかしいものとなります。後ろ向きの対応をすれば、Legnaniさんが言うように、次世代の人から「その時代の表現を刻印する勇気のない人たち」という烙印を頂戴します。

はやり、今までの伝統的な建築が持っているTypeと進化の法則を見つけ出し、それを尊重したうえで新しい建築を作り出していくことが求められています。その点で建築類型学的方法が参考になると思います。

先日宇治市で文化的景観を担当している杉本さんにお話を伺いました。彼は商店街を今まで作ってきた遺伝子DNAを見つけてその遺伝子を継承していく新しい建築で街並みを作っていくとおっしゃっていました。過去に完成した形式である町家を模倣したり、町家に近づくような形態規制はやりたくないということでした。まさに同感です。

鶴岡もそうしないといけないのです。

上の2点今後の宿題です。


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