先日の土曜日に都市環境デザイン会議のモニターメッセがあり、私も参加しました。会場は御茶ノ水の日本大学理工学部1号館です。
カーテンウォールで覆われ、大学にしては少々軽々しいオフィスのような建物だなあというのが第一印象でした。しかし、中に入ってみると細部にまで気配りがされた完成度の高い建物であると気づきました。休み時間に中をうろついてみると、階段(とくに手すり)の収まり、吹き抜けのとり方、トップライトからの光の入れ方、教室の天井の作り方、光の遮蔽の仕方、吹き抜け最下部の家具の形状など、これは高宮真介さんの設計ではないかと思い至りました。
最近しょうようプラザや真下慶二美術館など高宮氏の作品を拝見しているので、その完成度の高い空間の雰囲気は肌で実感しているつもりです。果たして先ほどウェブで氏の作品であることを確認することが出来ました。
さて、建物はさておき、昼休みに外に出ると 駅の周りで「アートピクニック」なる催しをやっていました。
バンド演奏もあります。
ゴジラも参加です。確か南の島での核実験により眠っていたゴジラが起こされたのか、何か影響を受けたのか、少なくとも核実験がゴジラの登場に関わっていたことをおぼろげながら思い出します。隣の人の頭をかじっているのが気になりました。
話がなかなか都市環境デザイン会議JUDIの本題に行きません。というのも少し会議の中に引っかかることがあったかもしれません。
モニターメッセというのはメーカーの方々(主に広場や道路など外部空間のプロダクトをつくっておられる会社です)が、自社製品を発表し、それにJUDI会員がコメントするという形で交流する場です。
プレゼンテーションを聞いているとバスシェルターや防護策などいろいろな工夫を凝らし、製品にまで作り上げていく苦労も分かってきます。コスト削減やメンテナンスのことを考えるとオリジナルだけでなく既製品をうまく使っていくことも私たちには求められる場合が多くなってきています。私もそのことを理解しています。
ただどうしても、違和感が残ります。自分にとってその違和感がどこから来るのか、それが明白になった発表がありました。あるアルミメーカーさんの発表です。新横浜駅前のの円形の歩道橋が出てきます。このシェルターを自社の既製品でうまく作り上げましたという発表です。
実はこの歩道橋の形状はコンペで私たちが提案したものです。
普通の歩道橋で構成されていた基本計画に対して2003年に行われたプロポーザルコンペで私たちが提案し、関係者のご尽力でこの案で行こうと言う事になりました。
ただこのコンペは設計者ではなくデザイン調整者を選ぶコンペであり、設計そのものは道路局や(駅舎に関係するところは)JR東海が担当することになっており、実際の調整活動は最初の数ヶ月間行われた後に、立ち消えになってしまいました。基本的な形状は採用されたものの、その後の展開に関われないことに私としては忸怩たるものがありましたが、基本的な形が出来た段階でそれぞれの事業者が設計を進めていきました。
実際出来たものを横浜市の方(担当の方ではありません)と見に行きました。このときの感想は次のブログに記しました。
http://blog.goo.ne.jp/1210tokihiko/d/20090811
モニターメッセで誇らしげにメーカーの方は発表されていましたが、私はそこに大きな違和感を感じたのです。
これは大変むつかしい問題です。常にオリジナルのデザインを追及するよりも、既製品をうまく使うことがコスト、メンテナンスだけでなくデザインという意味でも良い結果を生むことがあるかもしれません。
しかし私たちは出来るだけ現場での手作りにこだわってものをつくってきました。建築においてはもちろん然りですが、プロダクトがもっとも似合いそうなサインなどでもそのことにこだわってきました。
上の写真は梅が丘のサインです。レンガで歩道が整備されてきたというまちの歴史に敬意を表してレンガでサイン板を支えました。現場で職人さんが一つ一つ積み上げるという形状を強調するため、1個1個積み上げたものが自立するようになっています。このためには構造のチェックやプレストレスを与えるなど目に見えない多くの手間をかけました。
既製品を組み合わせてシャープに仕上げることも可能です。そのほうが手間はかかりません。しかし、今の自分にはこの方向性がフィットしていると感じています。この考え方で、今携わっている地方都市にも関わっていくつもりです。
既製品の改良に対してJUDI会員の方々から本当に鋭い建設的な提案が続いていました。メーカーの方も本当に謙虚に意見を聞き改良していこうという意欲を見せていました。大変良い会だとは思いましたが、どうしても自分の中に少々の違和感が残った一日となりました。
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