まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

1.はじめに 地域風景の構想(地域デザイン論)

2023-03-27 14:44:19 | 地域風景の構想 design our place

リンク:設計計画高谷時彦事務所 Profile 記事一覧へ

Lec2へ

地域デザイン論ー地域風景の構想ー Lec1

 

はじめに

(1)庄内の風景との出会い

 私は、2005年から2020年まで山形県鶴岡市にある東北公益文科大学大学院で研究室を持ち、大学院の学生とまちづくりの研究や実践をしてきました。また、並行して、大学院のある鶴岡市や大学のある酒田市、それらを包含する庄内地方において建築の設計活動も続けてきました。

<スライド1>

 庄内での最初の設計活動は鶴岡中央児童館(1999)です。敷地は小学校の跡地。跡地を見に行くとまだ当初廃校になった小学校校舎がありました。校舎の中をのぞくと、子供たちの描いた絵が額に入っています。中庭には白樺の林。外を見ると小さな築山があります。スキーの練習や、そり遊びをしていたとのことです。私は校庭の全体を眺めようと築山に登りました。木造校舎の瓦屋根そして中庭からは白樺のこずえが見えます。すると思いがけず、遠くに月山を中心に連なる山々が白く輝いています。実に神々しい。私はこの風景を継承できないか、具体的には既存の校舎を使えないかと発想しました。それまでは保存や改修にとりわけ興味があるわけではありませんでしたが、目の前の地域にしっかりと根付いた風景に対峙するなかでの自然の思いでした。

<スライド2>

 その後も設計活動やまちづくりのいろいろな場面で、庄内という地域の風土や暮らし、人々そしてその人々が作り上げた風景と向き合うようになりました。町割りや歴史的建造物が残り、同時に暮らしの背景にいつも月山や鳥海山をはじめとする自然があります。豊かな自然を背景に人々の暮らしや営みが作り出す風景の豊かさを強く意識するようになりました。

 また人々が風景に自分たちや祖先のアイデンティティを重ねていることにも気づかされました。例えば2008年に大ヒットし、翌年のアカデミー賞も取った映画の「おくりびと」。庄内をロケ地としています。夢破れて都会から故郷に帰ってきた主人公が鳥海山を背景にチェロを弾く姿が印象的です。どうしても心の傷をいやすには、背景に鳥海山が必要であったのです。また、出羽三山の修験の集落、手向との出会いもありました。山伏(住民)の精神やいとなみと、山々や修験のまち並みが不可分に結びついています。大自然とともに自分たちが築き上げた風景の中に人々は生きているという印象がします。この地域らしい確かな風景がここにはあります。人々のいとなみが深まれば深まるほど豊かになる風景です。それを地域風景と呼ぶこととします。

 東京にいたころにはあまり意識することのなかった地域風景との出会い。地域風景は人々の歴史やその地域の風土と結びついています。建築設計とは、何も書かれていない白い紙に、線を書き、今までそこにはなかった構築物の姿を提案していくことです。新しさを求める姿勢と不可分といえます。しかし私は庄内の風景、人々との出会いを通して、設計者として創造すべき新しさと、地域の歴史文化、風土をどう継承し、地域の風景の中にはめ込んでいけばよいのかということを自分のこととして考えるようになりました。

<スライド3>

 

(2)日本全体では、風景の均一化が進行、庄内も例外ではない

<スライド4>

 ここで、日本全体を考えてみます。明治以来、とりわけ20世紀後半の戦後復興から高度成長に至る中で、地域らしさはどんどん失われてきました。分かり易い例を挙げます。バイパス道路沿いの風景はどこに行っても同じです。駐車場の海の中にポツンと浮かぶ箱型の建物。外観には工業製品である新建材を纏っています。新しいほど性能が良いのが工業製品です。建築の外観は常に新しく、ピカピカの状態に更新されています。さらに外観は企業イメージを演出する広告に彩られています。

 個々の建築は自由に表現しています。しかし全体でみると、量販店の棚を思い出してしまいます。それぞれのメーカーが性能と価格を競い合って差別化を図った品物を並べているのに個性のある風景とは言えません。深みや奥行き感を失った風景といえるでしょう。

 また地方都市では人口の自然減、社会減が進行し、今まで中心部といわれていた場所にも空き家空き地が目立っています。中心部の空洞化であり、歴史的な市街地は空隙の多いスポンジのようになりつつあります。かつては多くの人が住み、そのまちを代表する繁華街からは特徴あるまちかどや、最新のファッションに身をまとった人々の姿が消えてしまい、ここでも均一的な寂しい地方都市の風景が蔓延しています。

<スライド5>

 上記の事柄は庄内といえども例外ではありません。例示した郊外店の風景や中心部のさみしい風景は、どこにいても同じ品質あるいは高品質の商品が手に入る便利さ、車でどこにでもアクセスできる利便性という私たちが求めるコインの裏側といえます。地域風景の喪失、風景の均質化は、近現代の社会経済条件のもとで、私たちの利便性を求める精神の副産物なのです。すべてのものが商品となり消費されていく資本主義の一側面ともいえます。とりわけ20世紀の後半のように、経済が発展し、まちが水平方向にも、垂直方向にも大きくなっていく時代には避けられなかった風景かもしれません。

 

(3)風景の変貌と建築、都市デザイン

 私たち、建築や都市デザインに関わるものは、上のような問題に、どのように関わってきたのでしょうか。

 産業革命に連なる19世紀の大都市過密問題を解決する中で生まれた近代都市計画は、基本的には、新しい社会が追い求める、合理性で機能的な都市をつくることに貢献してきました。CIAMが提示した太陽、空気、緑に恵まれた住宅地イメージ、そして用途によって明快に分けられた機能主義的都市計画は、工場と住居が混在し、日の当たらない不衛生な地区に多くの人が密集する状態の対極のイメージを提供しました。しかしそれは同時に、都市内部においては、スクラップアンドビルド型の再開発(不燃化・高度利用)で歴史とは断絶された箱型建築の集積を生み出し、郊外においては用途純化された車依存の住宅地の大量供給(都市の拡大)を進めました。

 また決められた様式からの自由な造形を目指したモダニズム建築は、どこの国でも工業製品として一定の品質を保って供給されるインターナショナルスタイルを生み出しました。それが、先駆者である建築家たちの革新的で創造的な精神に学ぶことなく、単純な「ハコ」型建築を都市の内外で大量に供給することにつながったという側面も認めないといけないでしょう。

 成長拡大の時代は終わりました。成熟の時代には、合理性、効率性を追い求めることでは得られない、環境の質、生活の質が求められています。心豊かに過ごせる環境が必要です。心のよりどころとなる安定し持続性のある歴史を反映した風景が求められるのです。

 都市デザインの分野ではすでに前世期の中盤からJ. Jacobsに始まる、人間の営みを中心に据えるまちづくり活動も提唱され、建築や都市を歴史文化的な視点でとらえることも当たり前となっています。また建築においても、例えば槇文彦氏の代官山ヒルサイドテラス。20数年の歳月をかけてモダニスト建築家の槇氏がつくってきた空間は、地域の人に愛され心の中に共有される風景となっています。建築家としての資質だけでなく、現代社会に対する深い洞察、歴史文化への深い造詣に裏付けられた設計活動は、誰にでもできることではありませんが、少なくとも現代的な建築でも、人々に長く共有される地域風景を生み出すことができるということを確かに示してくれています。

(4)建築都市デザイン活動を通した風景づくり

 私たちの研究室活動は、歴史的な集落のまち並み、歴史的建造物、中心部の公共空間など多岐にわたる空間を対象としてきました。また私自身の設計の対象も、歴史的建築の再生から、街角の公共的施設、歴史的中心部での公共施設づくりと多岐にわたります。しかしそのすべてに通底しているのは、今も残る地域風景を大事にしていくこと、そして将来に長く地域風景として残されていくようなものをつくり出し、育てていこうという思いであったともいえます。

 地域風景を昔に戻すことは無理だと思います。それは、適当なたとえではないかもしれませんが、全国ブランドの醤油をやめて地場のものだけで暮らすようなものです。全国ブランドも受け入れながら地域の味も大切にして育てていくこと、その土地の材料や気候、造り方、樽などの違いが生む微妙な差、地域独自の味わいをたのしんでいくこと、そういったことは建築や都市デザインでもやれるのではないでしょうか。

 以上の思いから、私の16年間に及ぶ教員活動を締めくくる最終講義は「地域風景をデザインする」というタイトルになりました。本稿はその時の話を軸としつつ、庄内での活動が他の地方都市で地域風景をつくりたいと思う方々への参考になることを願い、これまでの活動や考え方をまとめてみたものです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko Takatani

architect/urban designer


最新の画像もっと見る

コメントを投稿