マイナンバー制度は、戸籍を中心に世帯単位で把握されていた行政事務を個々の個人主体に変更するという意味合いを持つものと解釈する。しかし、現在の混乱は、縦割り行政で、ろくにデジタル化の意味も知らないようなキャリア官僚や政治家が、良く考えもせずに業者に制度設計等を丸投げにした結果、トラブルが続出しているものであり、野党やマスコミの言うような、一概にマイナンバー制度が悪いものという意見には組しない。マイナンバー制度は、それが完全に施行されたら、社会保障制度や個々の税金に関する事務などを簡素化出来るし、個人にとっても住居変更などの手続きをワンストップで出来るし、行政にとっても、社会保障制度の悪用や脱税などを防ぎ効率化に役立つものだと思う。まさに、デジタル化時代にマッチしたものであり、今更、紙の制度が良いなどと頑固に主張しているコメンテーター達こそ、過去に、何事にも反対して我が国の諸制度を時代遅れにしてきた張本人ではなかろうか。
もっとも、家族を中心とした我が国の制度が、個人を主体としたものに変わるとすれば、そこには、かなりの齟齬と混乱が生じるかもしれない。戦後、恋愛は自由であると言われ、恋愛結婚の増加とともに、離婚する割合も増えてきたかもしれないが、昨今では、社交上手な一部のドンファン的な者と、そうでない者との差が拡大し、若者世代の貧困問題もあって、結婚しない、出来ない人達の数も増えてきた。その反面で、バツを繰り返す人や自分の欲望本位に異性を弄ぶ人もいる。だが、広末涼子さんや木原氏の不倫報道でもわかるように、いつまでも結婚制度に縛られた社会というのもおかしい。結婚ありきではないのであって、個人個人が自分に最も適した生き方を選択する自由を持ち、その過程で良きパートナーに遭遇すれば、結婚しても良いし、無理にしなくても良いのではなかろうか。そもそも、結婚制度が一対一でなければならないというのもおかしい。関係者全てが合意すれば複数婚もありきであっても良いと思うし、愛人の存在も他人が別にとがめることは無い。結婚は、昔のように家の為にすることは無い。個人の自由なのであり、マイナンバー制度は、そのような意味でも、時代に適合した制度となるだろう。
もっとも、子どもの立場を考えると、少年期には、やはり親や社会の保護・監護が必要であり、金持ちに生まれたからどうの、貧乏な家庭に生まれたからどうのというような機会の不平等があって良いものではない。誰しもが同質の教育を受け、同等の機会に恵まれる必要がある。
※ 気になった事件
岐阜の自衛隊の小銃発砲事件の容疑者も複雑な家庭環境にあったと、一部で報道されている。不登校の時期もあったらしい。自衛隊に憧れていたのも、その反動とも考えられる。一方、長野の猟銃射殺事件の容疑者の家庭環境は、両親ともにしっかりした行動的な人物であったらしいが、田舎の農家の跡取りほど、しんどいものはなかろうし、大学をドロップアウトしたことで交際範囲も限られ、狭い範囲で濃密な交際が常にある田舎では、隣人の目を過度に気にしていたのもわからないではない。ひきこもり生活を送っていても、社会とは無関係でいることは無いが、世間の無責任な噂話ほど有害なものはない。その中でも、サザエさん的な家庭をモデルとして、それから外れている人々を無責任に中傷したりすることは見当はずれとしか言いようがない。今は個の時代であり、モデル家庭の呪縛からは自由であるべきであろう。このような事件の発生を防止するには、人は、すべからく怒りの衝動をコントロールする術を学ばなければならないが、学校教育では、そんなことは教えられていない。一部の臨床心理士の中には、アンガーコントロール教育に熱心な人もいるので、学校教育の中に必須として取り入れていくべきだろう。