diversion

my diary

古稀近し

2023年06月07日 | 日記
 「古希」と呼ばれる年齢に、だんだんと近くなってきている。子供がいないせいか、それとも知能的な発達が未熟なせいか、70歳近くになったという実感はない。確かに身体の衰えは年々感じることが多いし、物覚えも悪く、想起能力も衰えているのだろう。同年齢の人のうちには、既に鬼籍に入っている人も複数いるだろう。コロナだけではなく、感染すれば重篤化するだろう他の感染症も多くあるし、癌なども怖いし、事故に遭う可能性もあるのに、未だに生きていること自体が奇跡的なことかもしれない。でも、私自身には、年を取ったという実感はないし、40代や20代、ある場合は、10代のような気分でいる時がある。

 輪廻転生や天国などのあの世も存在しないのは、物理学などの科学的考察を良くする人には分っていることだろうし、あの世があるというのは、神経細胞から頭脳に情報を集約して、世界を三次元的に知覚化することによって、空間把握している人類の頭脳の描いている、願望に過ぎないと思っている。仏陀は、生老病死という人の苦について心配しても仕方が無く、現実を受け入れて無我の境地に達するということを自らの修行の目標にしていたと思うが、果たして彼の死の瞬間にはどうだったのだろうか。
 生きている一瞬一瞬を楽しむということをしたいと思うが、全く能動的でもない私には、それすらも難しく感じることが多い。

 ウクライナ戦争では、ついにダムを爆破するという愚挙がなされたという。この戦争も終わりの始まりに差し掛かったということだろうか。しかし、大ロシアという幻想の上で、NATOなど西側の進出を過度に恐怖して、愚かな戦争を始めたプーチンは、何を信じているのだろうか。彼がロシア正教の上でキリストを信じているとしても、それは彼自身の持つ幻覚というべきものだろう。

 ところで、今頃になってアハーンと気付いたことだが、英文などは覚えたと思っていても、明後日にでもなれば片端から忘れてしまっているということで、それなら、何度も読んで、忘れてしまっていること自体を楽しんでみたいと思いついた。そして、覚えるという意識ではなく、その文の主人公になったつもりで読み込んでみるのが良いのではないかと今更のように思う。他人からすると、こんなことは、衰えていく脳に逆らって無駄な事をしているように見えるかもしれない。しかし、古稀に近いといっても私自身にはその自覚は全く無い。テレビドラマなどを見ても、普通に恋愛ものにトキメキを感じることもあるし、SF小説などが普通に好きでもある。ただ、年金暮らしなので自由時間が有り余っているというだけである。

 
コメント