Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

靖国で逢おう

2011-08-20 15:46:53 | 日記
靖国神社
 
靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日明治天皇の思し召しによって
国家のために一命を捧げられた、これらの人々の名を後世に伝え、
その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に建てられた東京招魂社を
創建され、明治12年(1879)6月4日に社号が「靖国神社」と改称されて
今日に至っています。
ここ靖国に、私ごとであるが、私の叔父も、祭られている、
早稲田大学在学中、学徒動員で昭和14年に、日本軍が中国東北部の
満州とモンゴルの国境地帯でソ連軍と交戦し、ノモンハンで戦死、
靖国の人となった。
今でも機会あれば、靖国にお参りさせてもらっている。
誰も喜んで、死にに、行くのではない、愛国心からである、
今はそれすら、国民に期待する事はできない。死んで感謝もして
くれない国家には?
祖国と家族を救う為に亡くなった多くの英霊は、笑って靖国で逢おうと
言って死んでいった救国の志を、この日本国を預る、総理大臣はじめ、
政府の閣僚は、もとより国会議員が、与野党を問わず、国のために亡く
なり、靖国に祭られた方々に対し、参拝しない事をどう言い訳
出来るのであろうか。
参拝も出来ないような議員諸君は、この国の、国会議員として、
果たして資格があるのだろうか、はなはだ疑問である。
国家のために亡くなった事に、理屈なしで感謝の気持ちを持つて、
参拝すべきではないのだろうか、参拝する事に、外国からの批判を
恐れているようだが、これは、死者の御霊を神として祀り崇敬のとする、
日本文化で他国に、内政干渉されるべきものでもなく
8月15日の終戦の日。ことしも閣僚の靖国神社参拝は期待できそうもないが。
だが、中国や韓国が何と言おうと、首相をはじめ、閣僚や国会議員は
靖国神社に参拝する義務がある。
なぜか。戦死をしたら靖国神社に祀(まつ)るというのは、
だが、戦死するかもしれない人々と、残された人々との黙契(もっけい)
であるからだ。黙契であるからこそ、万が一にも戦死をしたら生き
残った人々、国民が国のために死んでいく自分たちに、感謝と慰霊の
参拝をしてくれると信じて、命を的(まと)に戦うことができたのである。
自分達が戦死しても、国家として、また国民が国の為の死んでいった
自分たちを参拝をしてくれることで、遺族も心を癒やされるという一面があった。
そして何よりも大事なのは、国家が祭祀(さいし)を行うということなのだ。
靖国神社に祀られている英霊は約250万柱。その多くが若者であり、
独身者であった。
彼らは結婚もしたかったであろうし、子孫も残したかったに違いない。
しかし、国家のため、郷土のため、家族のため、それらの希望を断ち
切って戦死せざるを得なかったのである。
家庭においては、親や兄弟が祭祀をする。しかし、親は亡くなり、
兄弟もやがて亡くなっていく、子孫のいない英霊と、100年たったら
子孫もいなくなり、その後は、誰が祭祀を継続するのだろうか、
国家しかない。だからこそ、子孫を残せなかった戦死者は、国家が半永久的に
祭祀をしなければならないのだ。
国家、国民のために、自己のあらゆる可能性を放棄せざるを得なかった
戦死者に対して、国家が何もしないのならば、今後、国家、国民のために
命を捧(ささ)げようという人は出てこないであろう。
これからの日本の平和を守るためにも、閣僚、国民の皆が、こぞって公式に
感謝し慰霊する義務があると思われるが、
8月は全国各地で戦死者への慰霊祭が行われるが、戦死者は交通事故や
災害の死者とは異なる。単なる慰霊だけではない。
感謝の気持ちを併せ持たなければ、本当の慰霊にはならない。ことしこそ、
国家は戦死者に対する黙契を果たそうではないか

自民党政権時代の小泉首相が公式参拝し、戦争で日本から被害を受けた
中国などの国々から非難を浴びたが、これは日本の問題で、日本国民とし
戦死者に対する義務とまで言い切って参拝をしていた。
中韓両政権が、国内体制維持に反日感情を利用している一方、日本側は、
政府高官を含め、日本人自身が歴史を知らず、生煮えの歴史対話となって
いると指摘。日本は、中韓両国とのより良き関係構築の観点からも、
政府は毅然とした態度で、外交交渉に臨むことが肝要と述べ、靖国神社
問題に関しては、日中国交正常化の原則に則り、相互内政不干渉と
すべきで、この点は日韓間でも同様であると述べた。

靖国神社について、

靖国神社の起源は明治2年(1869)6月29日明治天皇の思し召しによって
国家のために一命を捧げられた、これらの人々の名を後世に伝え、
その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に建てられた東京招魂社を
創建したのです。
当時の日本は、近代的統一国家として大きく生まれ変わろうとする、
歴史的大変革(明治維新)の過程にありました。
それ以前、日本は徳川幕府の政権下にあり、約250年にわたって鎖国政策を
とり海外との交流を厳しく制限していました。
ところが、アメリカや西欧諸国のアジア進出に伴って日本に対する
開国要求が強まると、開国派と鎖国派の対立が激化し、日本の国内は
大きな混乱に陥ります。
そうした危機的状況を乗り切る力を失った徳川幕府は、ついに政権を
天皇に返上し、日本は新たに天皇を中心とする近代的な国づくりに
向けて歩み出すこととなったのです。
しかし、そうした大変革は、一方において国内に、避けることのできない
不幸な戦い(戊辰戦争)を生み、近代国家建設のために尽力した、多くの
同士の尊い命が失われる結果となりました。
現在の靖国神社には、戊辰戦争やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争と
いった国内の戦いで、近代日本の出発点となった、明治維新の大事業遂行の
ために、命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって

斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な
幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・
支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの、対外事変や戦争に際して
国家防衛のために、亡くなられた方々の神霊が祀られており、
その数は246万6千余柱に及びます。
靖国神社に祀られているのは軍人ばかりでなく、戦場で救護のために
活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた
学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれており、その当時、
日本人として戦い亡くなった、台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に
死亡した軍人・軍属、大東亜戦争終結時に、いわゆる戦争犯罪人として
処刑された方々などの神霊も祀られています
このように多くの方々の神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じ
られた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、
靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰する
こと」にあるからです。
つまり、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、靖国神社に祀られ、国を守る
ために尊い生命を捧げられている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという
公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において、
共通して(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社に参拝された折に、
お詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」
の御製からも、知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた
人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建
された神社です。
「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」
「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
今日の靖国の前身、東京招魂社は、明治12年(1879)6月4日には社号が
「靖国神社」と改称されて今日に至っています。
このように、我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象と
する文化・伝統が残されています。
日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守って
くれると信じてきました。
今も日本の家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされて
いるのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け
継がれているからです。
そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家と
いう共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の
守り神(神霊)と考え、大切にしてきました。
靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の、文化の一つで
あると言う事ではないでしょうか。
 
靖国に、祭られた遺族と、常識ある国民からすれば、国を思う気持ちから、
尊い命を捧げた英霊に対し、この国を預る、総理大臣をはじめ、閣僚と
国会議員が、靖国神社へ参拝する事に、内政干渉する中国・韓国の内政事情
など排除し、この靖国参拝は、亡くなった方々への、国民の義務として
毅然とした、対応で臨んでいただきたいものだ。
特に中国などは、ご都合主義、自分たちの都合の悪い事を言われれば、
すぐ内政干渉するな、中国国内の事だと言うような国で、そのくせ他国に、
なん癖をつける国などに気を使うことはないだろう。
お隣の韓国も同じような事だ。
これから先、総理大臣は誰であろうが、独立した立派な日本国の長としては、
外国(中国・韓国・北朝鮮・ソビエト)に対して威厳をもって、
毅然とした対応を国民は望みたい。
先ごろ、ある国の大統領は、「国益が第一」と言った。
他国の為に、やるんじゃないよ。勘違いしないで民主党さん
日本と日本国民の為に、懸命に汗して、働いてください。
日本の総理も、この言葉、「国益第一」肝に銘じて、良く覚えておくことだ。
今の、政権与党民主党は、日本国家の事より、隣国の「中国もしくは韓国」の
属国にでもなったのかと錯覚するぐらいだ、
日本を忘れている民主党、どうするこれから? 明日はない。