Umi kakasi

自分が感じたことを思うままに表現してみたい。

金魚のまねしなくても

2011-09-04 10:27:58 | ちょっと、つぶやく 300
どじょう総裁誕生

民主党総裁選での党内演説で決めセリフ「どじょうは、金魚になれねぇ」
  
野田佳彦が民主党総裁選の演説で、自らを「どじょう」にたとえて語った演説は、
民主党議員に関心を持たせた。演説の中で「どじょうがさ 金魚のまねすること、
ねんだよなあ」と語ったドジョウ演説は、詩人・相田みつを、詩集「おかげさん」
からの引用で、好きな言葉として語り、笑いを誘った。
再度の「ドジョウが金魚のまねをしても、しょうがねえじゃん」を挙げながら、
「ドジョウ政治」に言及し。「ルックスはこの通り、私が仮に首相になっても
支持率は上がらないと思う」などと語り、総裁選最後の党内挨拶で、
総理の座を盤石なものにした、したたかさ、3度目の正直、今度こそは、
国民の期待に応えてほしいものだ。
首相に望みたいのは、総理の座についてから、周りの目ばかりを
気にして派手に振る舞ったり、人気だけに捉われる"金魚政治家"に
変身しないことである。
菅前首相は、市民運動家としての初心を忘れ"政治"に毒されて失脚した。
野田総理、松下政経塾で学んだ初心を忘れず、
その轍を踏まないよう心して欲しい。


この演説に出た「相田みつおの美術館」(東京・千代田区)
館長でみつをの長男の相田一人氏(55)は「父は松下塾で講演した
ことがあって、1期生の野田さんとお会いしていたかも。
このような形でとりあげていただきありがたいですと、
 
簡単に相田みつを氏を紹介すれば下記の通りである。
栃木県西部の足利市に生まれる。栃木県県立足利中学校卒業後、
歌人・山下陸奥に師事。1942年に庄同窓想像そう曹洞宗高福寺の
武井哲応と出会い、在家しながら仏法を学ぶ。1943年に書家である
岩沢渓谷に師事。1953年関東短期大学夜間部国文科卒。
1954年第一回個展を足利市で開く。同年平賀千江と結婚。
毎日書道展初入選。1955年ろうけつ染めを学び、デザインで
生計を立てる。足利市などで毎年個展を開催。
1974年紀野一義のベストセラー『生きるのが下手な人へ』で紹介される。
1984年『にんげんだもの』を刊行し、広く知られるようになる。
1991年、足利市内の病院で、脳内出血により満67歳で永眠される。