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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印  デビット・カン講演18

2012年07月03日 | 日記




ひまわりさんより(7月3日)

私は小さいころから,汚れたものとか、聖なるものという観念をすごく強く持っていました。
そして、安息日礼拝のための服や靴を聖別して用意するというようなことに、すごくこだわってきました。
もちろんそうしたことは大切なことなのですが、心があって初めて意味が出てくるのでした。
私は、いつの間にか、本当の心のないまま、形だけを行おうとしてきたのだと思います。
この世は、しょせん悪霊の支配している世界であって、ある物が清いとか、汚れているというのではなく,
全部が汚れているのです。
その中で、私たち人間が光の子としての歩みをし、
悪霊に支配されない生き方をすることができるように導かれているのです。

印する働き3(デビット・カン講演18)

「そんなことはないでしょう、カン先生」と言われる方がおられるかもしれません。
「自分の勝手な解釈ではないですか」、というわけです。本当にそんな意味があるんでしょうか。
では証明いたしましょう。『マラナ・タ』という本から、証の書の言葉を読みたいと思います。
243ページです。「我々は皆、悩みの時の直前に生ける神の印を受けた」。
「生ける神の印を受けた」とありますね。「その後、私は4人の天使たちが、地の四方の風を抑えることをやめるのを見た。
そして私は、飢饉、疫病、剣、国が国に敵対して立ち上がり、全世界が混乱しているのを見た」 
ここで、止められた風が放たれるということが書いてありますね。そして、生ける神の印の事も書かれています。
同じページを読みますが、ホワイト夫人はこのように言っています。
「神の民の額に押される生ける神の印とは何であろうか。
それは人間の目では読むことができないが、天使たちには読むことができるしるしである。
なぜなら、滅ぼす天使たちが贖いのしるしを見なければならないからである。
知性に富む天使たちは、神の息子、娘とされた人たちにカルバリーの十字架の印を見てきた。
神の律法に違反した罪は取り除かれている。彼らは礼服を着ており、神のすべての戒めに従順、かつ忠実なものである」