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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印  デビット・カン講演28

2012年07月13日 | 日記


   ひまわりさんより(7月13日)

今日の日課の言葉は、本当に考えさせられるものでした。
「しばしば、なぜ教会にもっと力がないのか、なぜもっと生きた信心がないのかという問いがなされてきた。
その理由は神のみ言葉のご要求に、真実と真理において応じていないからである。
神が最高に愛されておらず、また私たちの隣人がわたしたち自身のように愛されていない。
これら二つの戒めに、律法全体と預言者とがかかっている。これら二つの神のご要求にはっきりと従おう。
そうすれば教会の中に不一致はなく、家族の中に不協和音はない。多くの人にとって、働きがあまりに表面的である。
恵みの内なる働きが外面的な形式に取って変わられている。
…真理の理論は頭を改心させたが、魂の宮はその偶像から清められてこなかった」
私は、教会では女副執事長という立場にありましたが、教会では主に、受付とか、昼食の準備などを行っていました。
そういうことをやっていると、何か神様のために奉仕をしているような気持ちになってしまうのですが、
本当に人の魂の救いのためのかかわりは持ってこなかったのです。
何かおかしいと思いながら、表面的な働きで満足してしまいかけていました。
私たちにとって一番大切なことは、真理の理論だけでなく、魂が真の改心をするかどうかということでした。
神の宮がその偶像から清められることを、真に求めていきたいと思いました。

    救いの条件(デビット・カン講演28)

シナイ山で、モーセが、神様に(イエス様だったのですけれど)お会いした時、
神の栄光を彼の顔が反映するようになりました。
民は、「あなたの顔をまともに見ていられないので、ちょっと何かかぶり物をしてください」と言いましたね。
週ごとに安息日を守る経験というのは、イエス様がおいでになった後に、
永遠に神様のうちに休むということを予表しています。
『大争闘』下巻418ページをお読みします。「彼らは第4条の安息日が生ける神の印であることを知るが、しかしもう遅い」。
ノアの時代にも、神様を信じている人は大勢いました。
しかし、神様を信じていても、箱舟に入らなかったら、 神様によって刑罰を受けたのです。
救いには、条件があります。何でしょう。完全に屈服するということです。
完全に屈服するとはどういうことでしょう。神の戒めを守るという事です。
どんな困難、不都合があっても、どんなことがあっても、神様の戒めに従うという事です。