ひまわりさんより(1月3日)
今日は私の仕事始めで、朝6時半に家を出て、家に帰りついたのが8時過ぎとハードな一日でした。しかも、途中で私の頼みの綱のカーナビが、変になってしまっていることに気づきました。お正月に、夫がカーナビでワンセグテレビが見られるようにと操作していたので、その時に、どこか設定が違ってしまったのだと思い、いろいろやってみましたが、機械のことは全くわからない私には、どうすることもできませんでした。車の進行方向と、地図の方角が違っていて、右なのか左なのか分からず、泣きたい思いで次の家に行かなければなりませんでした。でも、こんな思いがけないことが起きた時に、いつも支えられるのは、「悪い言葉をいっさい口から出さない」と、イエス様だったらこんなときどうなさるだろうか、と思うことです。どんなときにも、この二つの思いで乗り越えられて感謝しています。
敵を愛する心(デビット・カン講演7)
その頃私は、本当にひどい苦しみを味わいました。ある日私は、床にひれ伏して、神様に祈りました。「私の命を取ってください。家族には申しわけないと思うんですけれど、死にたいのです。もうこんな状態で続けて生きていけません」。そしたら私の頭の中で小さな声が聞こえてきました。『お前は私に全身全霊をささげたのではなかったか。お前はすべてを私の祭壇にささげたのではなかったのか。真理を述べ伝えるためならどんな試練にも、どんな非難でも、喜んで受ける覚悟ではなかったのか。福音のためなら、命をささげるはずではなかったのか。今になって迫害が辛いから死にたいなんていうのか』。
それを聞いた時、私は急に立ち上がって「神様すみませんでした。許してください」と言いました。そして次のように祈りました。「神様、一つのことを私に約束してください。私の中で人に対して、苦々しい思い、恨みつらみを抱く思いを取り去ってください。個人であれ、教会であれ、教団に対してであれ、そのような感情が私の中にあれば、あなたのために働く事ができませんから、どうぞ助けてください」と祈りました。それ以来神様は約束を守ってくださいました。誰に対しても、教会に対しても、教会の指導者に対しても、それ以来、苦い感情を抱くことはありません。