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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演13

2013年01月09日 | 日記



     ひまわりさんより(1月9日)

今日、デビット・カン先生の、「主我らの義」のCDを聞いていて、すごくはっきりしたことがありました。それは、罪とは何かということと、義とは何かということです。今までそれを、漠然と聞いていましたが、そのことがみ言葉によって心にはいったという思いがしました。まず、「罪とは不法である」(1ヨハネ3:4)とあり、罪とは律法を犯すことです。そして、義とは、ローマ2:13「律法を聞くものが神の前に義なるものではなく、律法を行うものが義とされるからである」、申命記6:25「もしわれわれが、命じられたとおりにこのすべての命令を、我々の神、主の前に守って行うならば、それはわれわれの義となるであろう」とあって、律法を行うことが義である、ということです。でも、その義は、私たちのうちにはなくて、イエス様が私たちの義となってくださるのです。それがエレミヤ23:6に「その日ユダは救いを得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主は我らの正義』ととなえられる」とあり、この「主は我らの正義」となってくださるということが、単に概念としてではなく、本当に私たちのうちに律法を守れるようにしてくださることなのだ、ということがすごくすっきりわかりました。今までは、イエス様が私たちの代わりに義となってくださると教えられてきたのですが、そうではなく、イエス様が私たちの義となってくださるというのです。イエス様が私たちの代わりに、というと、イエス様と私たちは別々の存在ですが、イエス様が私の義となられるというのは、イエス様と私たちが一体となられることなのだと思います。

    14万4千の人々(デビット・カン講演13)

生ける神の印を研究しなくてはいけませんが、生ける神の印とは何でしょう。黙示録7章の1節から4節をお読みします。「この後、わたしは4人の御使いが地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風を引き止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。また、もう1人の御使いが生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている4人の御使いにむかって、大声で叫んで言った。『わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは地と海と木とをそこなってはならない』。私は印をおされたものの数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は14万4千人であった」。
これはとても重要な聖句ですね。ここに、14万4千がえがかれております。この14万4千の人は、聖書で2ヶ所だけ登場します。黙示録7章と14章です。黙示録7章では、この14万4千の人たちが、いつ登場するかが書かれています。14章では、14万4千の人たちの特徴、彼らがどういう人たちか、どのような品性を持っているかが書かれています。