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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演27

2013年01月24日 | 日記



   ひまわりさんより(1月24日)

今日の日課の聖句は、「平和をつくり出す人たちはさいわいである」(マタイ5:9)でした。キリストの霊の宿っている人の心には平和があるのだと思います。ところが、イエス様がいつも心にいて下さるためには、そうとうな訓練が必要なのだということを体験させられています。今日は、朝から賛美の心で家を出て行きましたが、次々に起きてくる突発的な出来事の中で、昼食を食べる時間もなく動き回っていると、疲れてきて、次第に心が荒れていくのが分かりました。今日はいつもより早めに帰ることにして、車の中で「我が主よ 心に入らせたまえ主よ 」という讃美歌を歌い続けて、やっと家の近くまで来た頃、心が平安になってきました。ホワイト夫人は、世の終わりにのぞむ私たちに対して、「疲労と遅延と飢えに耐えることのできる信仰、すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求する」(『各時代の大争闘』下巻395p)と言われています。今、いろいろなことを通して、どんなときにも心を平和に過ごせるように訓練されているように思います。

    イエス様を反映する(デビット・カン講演27)

この世界は、ものすごい、恐るべき悩みに突き落とされることでしょう。特に、食べ物を買ったり売ったりすることが大変困難になってくるのです。
これは私たちの脳ですね。ここに額があります。ここに品性をつかさどる部分があるわけです。『初代文集』93ページですけども、最後の部分だけお読みします。「悩みの時の開始にあたって我々が出ていって、徹底的に安息日を述べ伝えた時、我々は聖霊に満たされた」。 後の雨を受けたあと、私たちは出て行って、安息日をもっと徹底的に述べ伝えるわけです。
次に、『初代文集』149ページですけれど、「生ける神の印を受け、悩みの時に保護される人々は、イエスの形を完全に反映していなければならない」。安息日を、きよく完全に守るということは、イエス様の形、品性を完全に反映することなんです。同じことを言っています。
神様のうちに安んじるということは、神様の創造の力にみずからをゆだねて、安じるということです。そして、世から休むということは、罪から休むということ、自我から休むということ、人間に頼るということから休む、ということです。その時、完全に神のうちに安んじることができるということです。その時、私たちの品性は、イエス様の品性に似たものとなります。