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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演9

2013年01月05日 | 日記



    ひまわりさんより(1月5日)

今日の午後、ある本を読んでいたら、その中に、クリスチャンの完全は、あるレベルに到達することのように書いてあるものがありました。デビット・カン先生は、完全とは、ヨハネ第1の手紙3:9にある、「罪が犯せなくなる」状態のことで、それは、愛する者に罪を犯せないように、神様に罪を犯せなくなることだと言っておられて、これが本当だと思いました。また、カン先生は、聖所を通して神様が罪をどのように処理なさるか、ということを教えておられます。それはSDAしか伝えることのできないメッセージですが、その聖所の経験を、使徒行伝3:19の「自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい」から、「悔い改め」が聖所の外庭の経験で、それは罪を憎んで義を愛すること、「本心に立ちかえる」が聖所の第1の部屋の経験で、イエス様の信仰を学ぶこと、「罪をぬぐい去っていただく」のが、至聖所の経験で、印されることと教えておられます。これはすべて、神様に対する深い愛と感謝の思いから始まっているもので、知識で完全を理解したり説明したりすることとは全然異なるものだと思いました。神様との愛の関係が常に先にあり、愛する人に罪を犯せないという、心の改変からスタートしているカン先生のメッセージは、本当にそうだなと思いました。

    イエス様から直接教えられる(デビット・カン講演9)

かつて、ユダヤ人の指導者たちは、イエス様の受けた霊は、ベルゼブル、悪魔ですね、それによるものだと言ったわけです。イエス様の通られた経験に比べたら、私などの通った経験は何ということはありません。イエス様の経験を通して、神様は私にへりくだることを教えてくださったのです。この哀れな魂を神様は救おうと望まれたのですね。私は本当に高慢な精神を持っていました。しかし神様が、私を全く変えようとしておられたわけです。自分の十字架を負ってイエス様に従おうとした時に、決心した時に、いろんなことを学ぶことができました。それはすべて神様の恵みによるものです。そのことを本当に感謝しております。自給伝道の、独立伝道の牧師として、主イエス様から、直接教育されるという経験にあずからせていただきました。