ひまわりさんより(1月21日)
子供の頃、母が、自分の一番好きな聖書の言葉として、「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなた方は力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、私の証人となるであろう」(使徒行伝1:8)の聖句をあげていました。私は、イエス様の証人になるってどんなことだろうと、ずっと分からないでいました。そうしたら、今日の日課の中に、「神は、キリストの恵みを通して男女がどんな者になり得るか、それを世の前に証明する生きた証人として、わたしたちを発達させておられる」とありました。イエス様の品性を表すことが、証人となることでした。そして、イエス様の証人となるためには、一見もっともらしい自己正当化の理論が、サタンからのものであることを見抜いて、それに従わないようにする訓練が必要なのだと思います。巧妙なサタンの声に従わないためには、心に低さと感謝があるかを基準にして選んでいくことが大切なのだと思いました。
生ける神の印、安息日(デビット・カン講演25)
神様の戒めを守るということは、思いのうちで経験することなのです。安息日を清く守るということは、心の中で神様のすべての戒めに従っているということを外に出したものなのです。表に現れたものなのです。ですから、最終時代に安息日を守ることは、生ける神の印だと言われているのです。サタンはそれを、ことごとく憎みます。その結果サタンは、日曜休業令を持ってくるわけですね。
この世界の経済は、間もなく破綻します。間もなく、食べ物を買うことが困難になってきます。悩みの時になると、この世界は恐ろしいほどの災害、災難を経験しなくてはならなくなります。獣の刻印の命じることは何でしょう。獣の刻印を受けなくては、売り買いができなくなるということです。自分たちが、畑で最低限の食べ物を得られることができるようになっていなければなりません。