ひまわりさんより(1月25日)
近くのスーパーに、地元の野菜を売っているコーナーがあり、私は、野菜はほとんどそこで買うようにしています。昨日そこへ寄ったら、ストックの花が1束280円だったので、買ってきて、花瓶に挿しました。今日、家に帰ってきた時、ストックの花の香りがして、「いい香りだなー」と思いました。そして、花に香りをつけられた神様は素敵な方だなーと思いました。今まで、花の香りのことなど余り考えたことがなかったのですが、花に香りがあるということはすばらしいことだと、あらためて思いました。バラにはバラの香り、フリージアにはフリージアの香り、水仙には水仙の香りがあって、それぞれ、人の心をいやすものです。色や形、香りと、こんなに美しい花を、私たちのために創造してくださった神様が、私たちの心を再創造してくださらないはずがないと思いました。
救いの条件(デビット・カン講演28)
シナイ山で、モーセが、神様に(イエス様だったのですけれど)お会いした時、神の栄光を彼の顔が反映するようになりました。民は、「あなたの顔をまともに見ていられないので、ちょっと何かかぶり物をしてください」と言いましたね。週ごとに安息日を守る経験というのは、イエス様がおいでになった後に、永遠に神様のうちに休むということを予表しています。
『大争闘』下巻418ページをお読みします。「彼らは第4条の安息日が生ける神の印であることを知るが、しかしもう遅い」。ノアの時代にも、神様を信じている人は大勢いました。しかし、神様を信じていても、箱舟に入らなかったら、 神様によって刑罰を受けたのです。
救いには、条件があります。何でしょう。完全に屈服するということです、完全に屈服するとはどういうことでしょう。神の戒めを守るという事です。どんな困難、不都合があっても、どんなことがあっても、神様の戒めに従うという事です。