ひまわりさんより(1月19日)
今日の安息日の礼拝メッセージは、黙示録14章6,7節の「三天使の使命」でした。第一の天使が「永遠の福音」をたずさえてきて、大声で叫ぶのですが、まず、永遠の福音とはどのようなものかということでした。この世界は、最初神様に造られた時には永遠でしたが、罪が入ってきた時から、永遠は失われ、有限なものになってしまいました。ですから、永遠を得るためには、罪がなくならないといけないのです。つまり、永遠の福音とは、まず、罪が消滅する良い知らせなのです。罪がなくなった世界など、私たちには想像もつきませんが、聖書には、「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(黙示録21:4)世界としてあらわされています。私たちの心から、世界から、すべての災いの根源である罪がなくなるのです。これこそ、大声で叫びたくなる良い知らせだと思います。
戒めはまず心で守る(デビット・カン講演23)
では、安息日を清く守るというのは、どういう意味なのでしょうか。それは、安息日を守る人が、十の戒め全部を守っているということを表しています。誰かを殺していながら、安息日を清く守ることはできませんね。姦淫を犯していながら、安息日を清く守ることなんかできません。思いにおいて一瞬姦淫の思いが起きたとしても、もし信仰によって安息日を清く守るならば、それが神様の律法すべてに従っているというしるしになるわけです。サインなのです。多くのセブンスデー・アドベンチストが、この安息日を守るということがどういうことなのかわからないでいます。
十戒の第10条は何でしょうか。最後の戒め、「むさぼってはならない」という戒めですね。その振る舞いにおいてこの戒めに従おうとします。どうやってこの戒めを守りますか。「むさぼらない」とは、どうやって守るのでしょうか。心で守るのですよね。なぜこの「むさぼるな」という戒めを、最後に持ってきたのでしょうか。それは本来、神様の戒めは、まず心で守るものだということを教えるためでした。心の体験なのです。