福音の道しるべ 11
アダムが堕落した後の光景を思い描いてみよう。次のようなことが起こったかもしれない。
少し離れたところで、二匹の子羊が遊んでいる。神がアダムに、その二匹を呼ぶように言われる。アダムは口笛を吹いて、子羊たちを呼び寄せる。羊たちは、うれしそうに走ってやってくる。一匹はアダムの腕に飛び込み、もう一匹はエバに抱っこされる。彼らが子羊をなでているとき、神が再びアダムとエバに語りかけられる。
「アダム、あそこに石が二個ありますね?」
「はい、神様。」
「二個の石を削って、とがらせなさい。」
言われたとおりにした後で、彼は研いだばかりの二個の石を持ってくる。すると神が、「この石で、子羊の頭を打ちなさい」と言われる。
「でも神様、この石で子羊を打ったら、死んでしまうのではないですか?この子羊を殺せと、言われるのですか?」
「その通り。そのようになさい。」
神のご命令に逆らいきれず、アダムは自分が抱いていた子羊の頭を石で打つ。
「もっと強く。」
アダムが二度目の打撃を加えると、子羊は目を見開いて、まるで「どうしてこんなことをなさるのですか?」と訴えるような表情で彼を見る。恐怖に駆られた顔のまま、この小さな動物は、ゆっくりと血を流して死んでいく。はじめて死の恐怖を目の当たりにしたアダムは、恐ろしさのあまり、その死体を地面に落としてしまう。「神様、自らの不服従のために、私たちもこのようなむごたらしい最期を迎えなくてはならないのですか?」
「いいえ、そうではありません。あなたの罪のために、将来、私がこのようなむごい扱いを受けて死ぬのです。」
アダムとエバは、み前にひざまずいて言う。「主よ! 私たちの罪のために、あなたがこのような死を受けなければならないとしたら、罪とは何と嫌悪すべきものでしょう。あなたをこんなにも苦しませて死なせるいかなる罪も、私たちは犯したくありません。主よ、どうか、罪を犯した私たちをおゆるし下さい。」
エデンの園の外で、神がアダムに教えられたことと同じように、聖所の目的とは、罪人を教え諭し、罪を憎んで義を愛するようにさせることなのである。