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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 21

2013年06月11日 | 日記

    

    福音の道しるべ 21           ユリ

子羊に手を置いて罪を告白し、そのいけにえを殺したら、罪人は赦されるのだろうか? この時点で、彼は平安な気持ちで家に帰れるのだろうか?

 祭司は子羊の血をたずさえて聖所に入り、それを幕の前にふりかけ、それから罪の贖いのために、とりなしの祈りをささげなければならない。「こうして、祭司が彼のためにその罪のあがないをするならば、彼はゆるされるであろう」(レビ記4:26;さらにレビ記4:35;5:1016;6:7も参照)。つまり贖いは、外庭で子羊を殺すことによって象徴されているところの、十字架では完結しなかったのである。贖いは十字架で始まったが、そこですべてが終わったわけではない。

 キリストが復活と昇天の後に始められたとりなしの働きは、十字架上の彼の死と同様に重要なものである。しかしこれも、贖いの働きの一局面にすぎない。このことについては後ほど詳しく学ぶことにする。

 祭司は、厳粛な責任を担っていた。もし彼が、どのように神に近づき、どのように罪の赦しを受け、どのように純潔を回復するかを正しく教えていなかったとしたら、罪人は赦されてもいないのに、赦されたと思い込んで家に帰ることになる。ここに、罪の問題の誤った解決法を教える、最近の神学の危険が潜んでいる。偽りの教えは致命的であり、魂の損失を伴うのである。