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外庭における犠牲においては、罪から清めるために三つの媒体、すなわち血と火と水を用いた。血は、罪の根源である、心と内面の動機の清めを表していた。火は罪を焼き、水は罪の行為を象徴的に洗浄した。レビ記は、血液が生命の主要素であることを教えている。血液は体内を循環し、各細胞に栄養分と酸素を供給する。一方で血液は、体内の不純物を集め、体外に排出する。同様に、霊的生命を活気づける福音の原則が心に入ると、福音は罪を取り除き、心を清めてくれるのである。
外庭でささげられた、あらゆる犠牲の供え物のうち、罪祭の血だけが聖所の中に持ち込まれ、そこでふりかけられた。聖所〔第一の部屋〕の幕の前でふりかけられた血は、私たちの告白した罪が、天の聖所に移されたことを表している。もし私たちの罪が天の聖所に移されないとしたら、とりなしの祈りを通して得られるはずの、赦しを受けられなくなる。たとえ赦されたとしても、私たちの罪の記録は、罪そのものが除かれる時まで天の書に残っているであろう。この重要な概念は、罪の除去について研究するときに詳しく学ぶことにする。次に、罪祭について研究してみよう。