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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 12

2013年06月02日 | 日記

  

    福音の道しるべ 12                      

これまで多くの芸術家が、創世記3章24節の光景を描こうとしてきた。どの絵も、火の剣を手にもって、エデンの園の入口に立ちはだかる、いかめしい表情の天使を描いている。園を追い出されたアダムとエバの表情は、恐怖にかられている。同情と愛のうちにアダムとエバを動物の毛皮で覆われた神が、あやまちを犯した二人を問答無用で突き放し、恐怖をいだかせたまま、園から追放なさるだろうか? 創世記3章の24節にはこう書かれている。「そこで神は人を追いやられ、命の木の道を守るために、エデンの園の東にケルビム〔複数〕と、あらゆる方角に向く炎の剣を置かれた」(欽定訳)。たしかに神は、人間が命の木に近づかないように、天使たちを出入り口に置かれた。別の目的は、ルシファーをこれ以上園の中に入れないことであったかもしれない。しかし、さらに重要な意味があった。「あらゆる方角に向く炎の剣」は、ケルビムの間に配置されていた。詩篇99篇1節に、「主はケルビムの間に座せられる」(欽定訳)とある。ケルビムとは、いつも神様の御座のそばに立っている天使たちのことである。恐らく、創世記を書いたモーセは、まばゆい、燃えさかる剣のようなものを幻に見て、限られた言葉であのように描写したのだろう。もしかしたら、神ご自身のお姿を実際に見たのかもしれない。そのご様子は、家出をするわが子を心配そうに見つめる親のようであったかもしれない。去っていくアダムとエバを見つめながら、苦痛の面持ちで、その場を行ったり来たりなさっていたかもしれない。恐らく神様は、ときどきは礼拝をしにやってきて、贖いの計画について学ぶようにと、勧められたことだろう。