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祭司に与えられた右肩は、罪人が全生涯をキリストの双肩にゆだねた後に、人生におけるすべての出来事について、神が責任を負って下さることを意味していた。「ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた。ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、・・・」(イザヤ9:6)。幼い頃、父親に肩車をされて、何ともいえない安心感にひたった覚えがあるだろうか? 私たちは、生涯を神の双肩にゆだねる必要がある。
次に、両頬の部分が切り取られて、祭司に与えられた。誰かに片方の頬を打たれたら、もう一方の頬も向けなさいと、キリストは教えられた。「わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった」(イザヤ50:6)。祭司に頬の部分を与えた罪人は、実質的に罪なき完全な生涯を送る誓いを立てたのであった。今日これは、私たちがキリストの品性を持たねばならないことを意味する。
酬恩祭は、神と和睦する方法を説明、要約している。救済の計画に関する、この詳しい効果的な実物教訓を与えて下さった神に感謝し、御名を讃えようではないか。