福音の道しるべ 13
エデンの園は、人間がその楽しい道から追われた後も長く地上に残っていた〔創世記4:16参照〕。その入り口は警護の天使が守っているだけで、堕落した人類は、罪の入らなかったときの住居を長い間かいま見ることを許されていた。ケルビムが守っていた楽園の門には、神様の栄光があらわれていた。アダムとその子らは、ここに来て神を礼拝した。かつて、神さまの律法を犯したためにエデンから追放された彼らは、ここで神の律法に従う誓いを新たにした。悪のうしおが全地にみなぎり、人々の悪行の結果、世界が洪水によって滅ぼされることになったときに、エデンの園を造られたみ手は、それを地上からとり去られた。
イエス様は、エデンの園の東の門で、アダムとエバに教えられた。彼らはここに、礼拝をしにやってきた。イエスはここで初めて聖所の制度を紹介なさり、神がどのように罪人をゆるし、どのように罪を扱うかを示されたのであった。創世記3章には、神が世にお与えになった聖所についての幻が含まれているのである。
神様は、私たちの罪をおゆるしになる。これは真実である。だから、私たちには望みがある。イエス様が、無限の罪の代価を、ご自身の犠牲によって支払って下さったのである。その価が死であり、それが聖所の儀式における小羊の犠牲で表されている。そもそも聖所とは、私たちがこの代価の巨大さを少しでも実感できるようにと建設されたものである。聖所の儀式から、二つの結果が生じるべきである。すなわち人は、罪の結果を見るときに、罪を憎むことを学び、そして義を愛するようになる。その経験に伴い、自ら違反した律法を生涯守り続けようという決意が、心の底から湧き出るのである。