罪を憎んで罪人を愛するキリストの模範
イエス様は深いあわれみを持って、姦淫をしている時につかまえられた女に次のように言われました。「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ8:11)。イエス様は罪と罪人をはっきりと分けておられました。罪はキリストの心を傷つけましたが、イエス様の罪人に対する憐れみは、いつも罪人に勇気と慰めを与えました。イエス様が罪人のために十字架の上で亡くなられた理由は、罪人を憐れみ、罪を憎まれるからなのです。
律法主義者は、罪も罪人もひっくるめて憎む傾向があります。彼らは肉の弱さを現す人々を厳しく裁きます。たとえ自分自身が克服していない罪であっても、他の人が犯した時には、それを大げさに言いふらしたり、批判したりします。
自由主義者は、罪と罪人に対して寛大です。多くの場合において彼らは、意図的に罪を悔い改めない人に対しても「寛大な愛」を示します。自分の罪を教会の前で告白しなければならないような罪人の肩を抱きながら、次のような愛の歌を歌います。「あなたの罪についてあまり心配しないで下さい。神様はあなたの弱さを理解して下さいますよ」。このような無責任な愛の表現は、罪人の心に危険な結果をもたらします。罪人を愛するゆえに罪に対する警戒と注意を緩めるのが自由主義者の特長です。
イエス様は罪人を赦すと同時に「今後は罪を犯さないように」と言って彼女の人生に指針を与えられました。自由主義者は、罪人の人生を寛大に見る反面、神様の真理に固く立とうとする人を律法主義者と決めつける傾向があります。