TANEの独り言

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我が青春の山<穂高〜槍 縦走>前編

2020-10-01 12:12:00 | 山行
大学3年の秋、私は仲間と3人で穂高連峰から槍ヶ岳に向けての縦走を計画しました。

そのルートは難易度が高く、現在でも最上級者コースになっています。

学生時代の私の所属するサークルでは、提出された登山計画に対してサークル内で厳しい検討がなされていました。

部会で先輩方から厳しい質問が浴びせられ、それに毅然とした態度と内容で受け答えすることができないと、計画自体が没になるほどシビアなものでした。

私たちの計画は実施時期やルートの点で反対意見もありましたが、状況判断を慎重かつ的確に行うことを条件に、何とか部会を通りました。

充分すぎるほどの準備とトレーニングを積んで、山に初雪が舞い始める頃に同級生3人で寝台列車に乗り込み穂高・槍に向けて出発しました。

出発前日、私の部屋の引き出しに、もしもの事があった時の手紙を密かに入れて家を出たのでした。


上高地に着くまでの記憶はほとんどありません。

覚えているのは、上高地の梓川にかかる河童橋のたもとで写真を撮ったところからです。

                  河童橋にて



その後、険しい岳沢の急登を先頭で歩いたこと、吊り尾根までたどり着いた時に見た涸沢カールや槍ヶ岳まで続く岩の稜線の素晴らしさは昨日のことの様に覚えています。

              岳沢のテントサイト


秋晴れの中、前穂高岳までピストン、
吊り尾根伝いに奥穂高岳へ、
山頂にいた登山者に大ケルンの上で記念写真を撮ってもらい、その後、穂高岳山荘にたどり着きました。

               奥穂高岳山頂にて


その時に、別ルートから登って来ていた同じ大学の仲間と偶然会うことができ、緊張のし通しで固くこわばっていた心身が一瞬で解放され元気になったことを覚えています。

また、涸沢岳から北穂高岳までの岩稜の道や、北穂高岳から南岳までの大キレットも緊張の連続で、長くて短い不思議な時間感覚だったこともはっきりと覚えています。

            大キレットは難所の連続



北穂高岳では夜のうちに雪が降り、翌朝、朝日が当たった岩肌と降り積もった雪の部分だけが紅に染まった光景も忘れられない思い出です。

       薄っすらと新雪をまとう穂高の峰々



ただ一つ、自分の未熟さを痛感させられる、今思い返しても自分の行動に恥ずかしさを覚える事があるのです…  


        <後編に続く>