TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

我が青春の山<開聞岳>

2020-10-13 12:16:00 | 山行
大学1年から2年に上がる春休みに、一つ上の先輩2人と同級3人の計6人で南九州をサイクリングしました。

国鉄を使って宮崎県の小林駅まで輪行し(自転車を分解して袋に入れ、鉄道などの交通機関を使い運搬すること)、日南海岸→都井岬→佐田岬→桜島→鹿児島→指宿→開聞岳登山を行った春合唱でした。

その合宿で一緒だったワンゲル(ワンダーフォーゲル)仲間が、自分のブログの中でこの時のことを書いています。

同じ合宿に参加し同じ体験をしているのですが、私が忘れていた事をしっかりと覚えていたり、また、逆であったりして懐かしく読ませてもらいました。

所々、仲間のブログを参考に書かせてもらいます。

3月19日、午前4時の列車に乗るために大学のサークルボックスを出発し、駅では先輩方が我々の合宿の成功を願い歌を歌ってのお見送りです。

午前中に小林駅に到着、自転車を組立ていよいよサイクリングが始まりました。

雨のえびの高原は真っ白な世界。見える予定の霧島の山々はまったく望めませんでした。

初日は岩瀬ダム近くの廃屋で1泊しました。

当時、我々が行っていたサイクリングではキャンプ場などは利用せず、公園や駅、空地など水が手に入るフリーな場所でテントを張ったり野宿をしていました。

世の中が今ほどギスギスしておらず、旅をする若者に寛大でした。

その頃は、困っている人や何かを求めて必死で頑張っている者に対して、優しい声掛けができていた時代だったような気がします。

旅先の土地に住む人々に随分と親切にしてもらった覚えがあり、今でも感謝しています。


余談になりますが、この合宿中に昭和54年3月21日を迎えました。カウントダウンみたいに5.4.3.2.1と数字がキレイに並んだ日でした。


サイクリング2〜3日目になるとサドルで擦れたお尻がヒリヒリしてきます。

キツイ登り坂も、風を切って走る快適な下り坂でもお尻を少し浮かせてペダルを漕いだことを懐かしく思い出します。

行ったことのない町や名所に、自分たちの力だけで漕ぎ着く達成感は何物にも代えがたい宝物として魂に刻まれました。

毎日、100〜180kmを走ったと思います。



合宿の途中、帰省されていた女性の先輩が日南の"猪崎” でお弁当の差入れをしてくださいました。

携帯電話もない時代に、会えるかどうかも分からない私たちのためにそんなことまでしてくれたことは生涯忘れないでしょう。


その後、佐田岬、桜島を経て、フェリーで鹿児島へ渡り開聞岳に向かいます。

開聞岳を望める国民宿舎の庭先に無料でテントを張らせてもらいました。


"薩摩富士“ とも呼ばれる開聞岳は、私たちの旅の最後に相応しい山でした。

山肌を時計回りにグルリと回り込みながら高度を稼ぎ、たどり着いた山頂からは"イッシー” が住むと言われていた池田湖をはじめ360度の眺めを望むことができました。



あの頃、自分たちは"ワンダラー ” であろうとずいぶんと背伸びしていたような気がします。

そして、それを優しく見守ってくれた時代がありました…