日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

4つの顔(下)

2010-01-25 16:22:53 | Weblog
 大学の入試では、決められた時間内に、その大学の過去の問題から、傾向を充分に把握しておいて、時間配分を上手に使って、出来る問題を落とさない様にして、他の受験生よりも出来ることで、合格となる。当然、出題者がどうなっているかで、問題の質がガラッと変わることがある。
 資格試験でなく、選抜試験では、人間性とか、他者への思いやりとか、多様性への価値観とか、不確かなものへの挑戦とか、新しいものへの挑戦とか、自分らしさとか、そんなものは、二次的なものとなっている。
 医学部に入学してからがもっと大変である。まず、その量の多さに驚く。それに、講義のスピードが早い。多くの秀才があっと言う間に、劣等生になってしまう。追試、再追試、留年、・・・精神的に追い詰められて、潰瘍になったり、鬱になっている人も出てくる?!
 暗記モノが多く、試験の時に、一時的にでも頭に詰め込める能力が試される?基礎医学の解剖学、生理学、生化学、それに、分子生物学、発生学、免疫学、・・・どうしたらこの莫大な量をこなしていけるのか(こなしていけない。日進月歩なので、教科書が直ぐに古くなる。基礎的なことをしっかりと把握して、後は、雑誌で追っかけるしかないことに気が付く)。
 医学部では、実習が実に多い。午前中は講義、午後は実習、夜はレポートを書くって感じの日が延々と続く。
 医師国家試験が難しい(東大医学部を出ても、約1割が不合格の難しさで、大学入試と同じで、それなりに受験勉強をちゃんとしてないと、まず、合格は無理!?)。医師国家試験に合格しないで他の仕事を探すとなると、・・・やはり、合格するまで頑張るしかない!?
 医学部に6年間いても、学生の身分では、医師法で、注射1本出来ない制度となっている(欧米の医学教育とは、全く違う旧態依然の教育方?!)。卒業しても、研修2年間は、医師免許証を持っているのに、処方さえ、上の人の監視の上でないと許されない(ケースが多い)。医学部の教育なんて、教える方も、無報酬で片手間にしていることが大部分。
 医学部に入学して、ジワジワと現実を知ってくる。しかし、もう、後戻りはできない。医師になっても、給料の低さに驚く(薬を使って下さいと言っているMRの人の方が、給料がいい)。医療のきつさに驚く(当直明けにも普通通りに仕事をこなさないといけない)。医療界の制度のおかしさに驚く。学生時代の医学教育以上に、卒後教育のおかしさに驚く。コンピューター相手に書くことの何と多いことか(近年、益々)。それに、患者さんへの対応の難しさに驚く(日本人全体が、感謝の念を忘れている傾向にあるのかな?!)。
 マスコミの医者叩きに驚き、卒後の医療の進歩に驚く。大学との関係、博士号の有無、忙しい中での学会参加、医師会員加入の是非、問題は、次から次へと来る。そして、婚活!?
 医師が科を選ぶ場合、小児科や産科は、女性にはとても合っていると(私自身は思っている)。母親の気持ちになれるし、お産する人の気持にもなれるから。しかし、卒後まだ一人前でなくて、結婚・育児となると、仕事との間に挟まれて、大変な思いをすることとなる。半人前の状態のまま育児に専念して、その後、再びとなっても、初めからやり直しって感じにもなるかな?!
 一人前の医者になっても問題は、山積している。医者の子育て一つとっても、悩んでしまう(深夜でも受け持ちの患者さんを起きて診るべきか、それとも、大切な家庭を大事にするべきか)。地方の病院勤務となれば、経験してない他の科の患者さんも、当直で診ないといけない。いつも他の医者に応援を頼むわけにもいかない。(田舎で、数少ない医者でしている場合は、高給をもらうことになり、そうだと、そこにいれば、深夜も診ない訳にいかないケースが多い?!)
 (個人差がある為に)不確かな予想と判断の中で、(医療訴訟に怯えながら)、誰にも分かってもらえないと開き直りながらも、歳を確実にとって行く。
 医師の自殺率は、普通の人の3倍もある(特に、人に悩みをあまり相談したがらない男性の場合は、女性の3倍)。
 今からの医師に求められるのは、医師としての技量はもちろん、医師としての倫理観はもちろん、それに、「体力」と「鈍感力」かな。
 今は、受験の真っただ中だが、小さい時から受験勉強漬けでは、それは、出来にくいかな。不景気で、今年は、看護系の受験生が全国的に多くなっている。医療って、患者さんの為にあるもの、そうですよね!

*写真は、平成22年1月25日(月)17:35、循環器疾患で、ヘリにて搬送(医局より撮影)。

 

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4つの顔(中)

2010-01-25 16:13:00 | Weblog
3、悪魔の顔について
 「先生、いくらかかってもいいですから、出来る限りの事をして下さい」と、幾度か言われてきた。しかし、退院時の親の顔は、どうだろうか?
 多くの人は、本来、人間は健康のはずだと思っている。不幸にして病気になった事で、医者は収入を得て、生活が出来ることになる。そもそも、あのまま元気だったら、医者にかかることもなく、不必要な心配もしなくてよかったはずと思いたくもなる。人の弱みに付け込んで、人の不幸で儲けやがって・・・格差社会で、ちょっとの医療費でも、その後の生活に大きく影響してくる今の時代だと、尚更、そう思われても仕方ないかな?
 予防や健診やお産では、(結果に特に問題がなければ)、医者が悪魔に見えることは少ないと思う。しかし、病気で高い医療費(皆保険制度があり、高額療養費制度があり、欧米と比べると、超恵まれていると思うのだが)を払わされることとなると、・・・医者が悪魔に見えること、確かにありか?!
 人間とは勝手なもので、健康の時には健康の有難さが分からない。病気になった時に、健康であったらどんなにいいかなあと思う。特に、ひどい状態になった場合。しかし、健康を取り戻すと、その思いを直ぐに忘れてしまう。

4、4つ目の顔について
 そして、医者には、医者しか分からないもう一つの顔があると思う。
 医者になるまでには、実に多くの困難と試練を伴い、医者になっても、医者しか理解できない苦しみがある。(自分も、医者になって、初めて知ったこと、多いです!)
 まず、医学部に入るまでが大変である。知っての通り、超最難関。特に、今は。国公立の医学部に行こうとなると、地方の医学部でも、東大受験並みの成績が必要とされている。
 小学生の時から、それなりの中学校(その多くは、中高一貫教育の学校)に行く為に、土・日も塾通い。中には、いい塾に入る為にも、競争があるとのこと。大学入試は、(欧米と違って)年に1回しかない。医学部浪人を何年もすると、他の学部に行っても、年がハンディーになって、就職難ってことになり兼ねない。そうなると、何が何でもって感じで、何浪もしている人もいる。(自分も2浪したが)

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4つの顔(上)

2010-01-25 15:44:11 | Weblog
4つの顔
 医者には3つの顔があると言われる。学者の顔、神様(天使)の顔、そして、悪魔の顔が。

1、学者の顔について
 医学は科学である。それ故、医者は、科学者としての目を持たなければいけない。患者さんから話を聞き(問診)、診察し(視診、聴診、打診、触診)、必要があれば検査をし、そして診断をして、治療を決める。今までの知識を縦横無尽に駆使して、今までの経験も生かして、時には、他の医者のアドバイスも受けながら。まさに、パズルを解くが如し。

2、神様(天使)の顔について
 医学は単なるサイエンス(科学)ではない。サイエンスに支えられたアートでもある。医学が他のサイエンスと違うところは、生身の人間を対象としていることであろう。それも、生老病死を対象として。それ故、医療においては、病気ではなく、病人を診ないといけない。医療とは、病気で病んだ人と医師(や医療従事者)との信頼関係に基づいて進める共同作業と言うことになる。
 共同作業を行う上で、お互いにミュニケーションが上手にとれることが必要とされる。
 「先生にお任せします」と言われることがある。その都度、ああ自分が医療をする上で、こんなに患者さんから信頼されているんだなあと思って嬉しく感じてきたが、それと同時に、自分の判断でこの子はひょっとすると死んでしまうかも知れないと思って、責任の重さも同時に感じてきた。
 医学(特に医療)では、絶対と言う言葉は使えない。しかし、医療を受ける側にすれば、特に、病気で苦しんでいる子どもを持った親御さんにとっては、医者が神様みたいに見えることもあるだろう。重症であればある程、そう思うだろう。医者の一言一言が、その時の親御さんにとっては、神様の一言一言に近いものに聞こえるかも知れない。気になる症状がずっとあって、検査をしてもらって、その結果を、医者から、「どうもないですよ。正常ですよ。」と言われた時、その医者は、正に、神様的存在に見える。(自分も、ずっと血便が時々続いていて、内視鏡検査で、正常ですと言われた時、そんな思いだった。)
 しかし、典型的な症状や所見がなければ、早期診断や早期からの適切な治療が難しいのは言うまでもない。ガンにしても、猛スピードで進行するガンもあって、半年に1回では、早期診断不可能で手遅れってケースもあるのだ。
 それにも関らず医療訴訟があるのは、一般の人にとっては、医者は神様的存在で、立派に勉強してきているから、自分の先生に関しては誤診はまずなく、最高の治療をしていると思っているからではないだろうか。信頼が大きければ大きい程、予想していた結果と大きくズレている場合には、それだけ憎しみも深まるかも知れない。

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四者悟入

2010-01-25 09:15:03 | Weblog
  「ししゃごにゅう」って言葉、「四捨五入」と思っていらたら、そうでなく、「四者悟入」と書く。
  世の中でのヒトの生き方を悟っている者には、次の4者があるとのことかな?
1、医者・・・生老病死を直に見ているから。
2、学者・・・学問を探求する過程で、真理を探求しているから。
3、易者・・・天文学など、ヒトと宇宙の関わり方かた、将来の予測などに精通しているから。
4、役者・・・ヒトに成り切って演じていることで、ヒトの生き方を学んでいるから。
 学校の先生は、その4つの顔を持つべきだとか。(大分県のある教員の話だと、教員に採用された時に、そんな話を上から伺ったとか)
 具体的には、・・・学者:自分の専門をおさめるのは当然、自分の専門でなくても、子どもから立ち上がった疑問に寄り添い、学びへとたどりつく道をつけてあげなければならない。・・・医者:教えるだけではなく、生徒の様子を把握していなければならない。例えば朝、生徒の顔を見て、この子は今日は調子悪そうだな、昨日、何かあったのかなと直ぐに気付けるように。・・・易者:生徒に予想をもって関わらねばならない。たとえば指導案を書く。この発問なら3割の子はのってくるだろう。7割のってこさせようと思えばどんな問いかけがよいだろう、というふうに。・・・役者:素で関わるのはよくない。生徒に自分の思いを伝える為、時には大げさに、時には抑え気味に、その子やクラスの状況をふまえながら、意図を持って振るまわなければならない。
 そうだよなあ、自分の場合、30年以上も臨床医をしてきて、ヒトの病気以外にヒトの陰の姿も、如実に見て来ていると思う。自ら(みずから)、つまり、自分から学ぼうとしなくても、自ずから(おのずから)、つまり、自然とそのあり方を悟ってきていることも多いと思う。
 ヒトの考え方も、時間が経過するに従って、変化して行くことも多い。
 医者も、単なる医者の仕事をするだけでなく、学者や易者や役者にもならないといけないかなと思う様になってきています・・・?!

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