日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

医者は、本当にいい職業か?

2007-04-23 07:55:09 | Weblog
 昔と違って、今は、医師になるには、小さい時から塾通いと勉強漬けで大変。医学部に首尾良く入っても、医学部6年間は、昔と違って覚えるべき内容が桁違いに多くなっている。医学部の閉鎖的な教育にも、うんざりしてしまう。又、国家試験も、1割前後が落ちる程の難しさで大変。
 合格しても、今は、スーパーローテートで、月に30万の給料は保証されても、2年間は、当直も出来ず、もちろん、バイトも出来ず、贅沢な生活とは無縁の生活となる。
 晴れて技術だけは一人前の医師になってから、医師とはどうあるべきかの人間的教育が、競争の中ではちゃんとなされて来なかったことに気が付く。
 医師としての責任の重さ(下手をすると犯罪者にされてしまう)と、教育の不徹底さ(大学は、教育中心でなく、研究中心)、出来高払い制(病名が付かないと、治療が出来ない。未病の段階で予防に力を入れても、採算が合わなくなってしまう。)など、いろんな矛盾点に悩まされる。
 そんなことばかり子ども達に言ってきたせいか、子ども3人は、幸いかどうか、医学部に進まなかった。しかし、しかし、である。長女は、日本の高校3年からアメリカの高校に行き、アメリカの高校を卒業後、アメリカの大学(文系)を卒業したのに、しばらくして、「私は、カイロプラクターになりたい、やっと自分のなりたい職業に巡り会った!」と言い出して、現在、アメリカのアトランタにあるカイロプラクターになる為の学校(大学院)に通っている。解剖で、匂いが体から取れなくて大変と言っていた。

 医師だけが見れる感じのサイトがあるが、その中で、医師の本音が暴露されていた。

 子どもに医師を勧めるかのテーマに、ある医師は、次の様に答えていた。

 勧めます。もちろん医師という仕事に少しでも興味を持ち、それに向かって勉強する気持ちがあればの話です。医師といって科も仕事の形態も幅が広いのでどんな医師かというのは子供が自分で選んでいければと思います。私は精神科・心療内科をやっていますが、日々患者さんをみていて世の中甘くないことを痛感します。
 医師以外の方でいつ過労死しても、家庭崩壊してもおかしくないような働き方を強いられている人は決して少なくありません。殆ど毎日終電で帰宅、家にいる時間が5、6時間、休日もしばしば出勤、夕飯は深 夜に食べると翌日胃にもたれるので食べない、といった生活をしていてうつ状態でみえられる方がかなりいます。これだけ働いていてもこの方たちの給与はそれ程のものではありません。こういった人たちには休んでもらう以外どうにもならないのですが、休むことは解雇の不安、経済的問題、周囲の目、将来の出世の問題などから大変な困難を伴います。 休んで回復してもいずれ同じような就労状況が待っているのが現実です。過酷な状況下でうつ状態になると、多くは失職、さらに条件が厳しい仕事への転職と収入の減少、病気の 再発…といった絶望的な負のスパイラルが待っています。 きちんと治療と休養ができ、その後回復に応じて受け入れてもらえ、就労が続けられるのはごく一部の大企業や公務員に限られます。公務員でさえ最近は厳しく、権利だけを叫ぶ市民に罵倒され、上司からは叱責され、肉体的、精神的に追い込まれる人が増えています。起業といっても成功するにはたいへんな努力が必要で、失敗して家庭崩壊という例は多々あり、医師の開業と比べ遙かに大きなリスクを伴います。労働環境が厳しくなっているのは決して医師だけではありません。医師だけが激務、重責の割に報われない職業と考えるのなら、今の日本、これからの日本で医師以上に報われる職業というのがあるのでしょうか。教えてほしいものです。

 しかし、次の様な切実な内容もあった。

 私はもうすぐ50歳に近づいている国立大学の助教授です。助手、講師、を経て7年前に助教授になりました。大学の近くに住んでいるので、毎日運動を兼ねて自転車通勤、交通費は支給なし。幸か不幸か、身分から大学病院の当直は免除されていますが、時々、緊急手術で呼び出されます。大学にもよりますが、うちの大学は超過勤務手当がありません。ですから、当直料が貰えないので、私の余分の手当は扶養家族の手当くらい。以上から、計算しますと、毎月の総支給額は50万円台前半、これから各種税金や保険が引かれ、手 取りはしばしば40万円を割ります。年間の大学からの総支給額はボーナスを含めて、800万を超えかねます。これでも助教授です。
 ですから、大学以外の外来診療や当直のアルバイトをしなければ、子供を大学に進学させるのにも困ってしまいます。講演の依頼や、原稿依頼が毎年数件ありますが、微々たる収入です。
 高校の同級生が小学校の教頭をやっています。給与の話をしたら、私よりも200万円以上多く、1000万円を超えているという話だったので、頭にきました。
 私の上司、つまり教授ですが、私よりひとまわり年長なのですが、薄給で困っているようです。60歳でなんとか大学から手当も含めると1100万円は超えているようですが、 60歳で外の病院の当直をするわけにもゆかず、給与のいい外来診療アルバイトを必死で確保しています。講演料や企業講演会座長料がありがたい収入源のようですが、年に10 回未満ですから、100万円は超えません。権力はあっても、アルバイトがないと威張っていられません。


 医療関係者めいた人しか出来ないそのサイトでは、いろんな意見が述べられている。結論は、今の時代、絶対にいいと言う職業はないということではないだろうか(裏が必ずある)。どんな職業でも、その人自身が天職と思えばそれで最高だと思う。又、長い人生、決まった道でなく、寄り道(の職業も、更には、転職)も、それなりに素晴らしいことだと思う(還暦を迎えて開業医になったドクターを身近に知っているが)。

 昔は、専門3年や4年生になると、(インターンと言うことでごまかしていたのか、世の中が寛容であったのか?)家から仕送りをしてもらわなくても、それなりに、医療関係のアルバイトをして、生活が出来ていた医学生もいた。
 元MRの人で(父親は、国立大学の基礎医学の元教授)で、薬学部卒業に、MRになって、それでしばらく働いていたが、医師の仕事の素晴らしさと同時に、医師がどんな に視野が狭くて威張っているかを知って、そうならない医師になることを決意し、医学部に再び入学して医師となり、今は、内科医として救急病院で忙しく活躍している人を知っている。
 アメリカの様に大学卒業後に、ある程度社会のことを知った上で、どうしても医師になりたい人のみ、医学部に行って医師になり、それも、臨床中心の医師になればいいと思う。東大の理学部や阪大の工学部や京大の理学部の大学院を出て、地方の(自分が卒業した)医学部に入って医師になっている人を知っている(とても真面目で、 現在、凄く頑張っていて、頭が下がる程)。
 今の医師には、体力、気力、寛容力、継続力、判断力、探求力などいろんな能力が必要かと思う。
 私の様に、趣味を持って医者をするのも、いいかも知れません。


 以下のコメントを頂き、以下の様に返事をしました。

 わたしは、48歳のときに医学部入学して、いま、六回生です。健康にも体力にもまあまあ恵まれていますので、出来れば90歳まで現役で働きたい。医師はいろいろ言われているし、臨床にまだ出ていないから、何も判らないけれども、有意義で遣り甲斐のある仕事だと思います。いまは、出来る限り腕を磨いて行きたいと思って、ポリクリ頑張っています。
 
 素晴らしいと思います。聖路加国際病院の日野原さんの様に、90歳を越えても、元気に医療活動などをしている人もいます。医師の条件として、大学に入る時の成績よりも、動機付けがはるかに大切と思っています。知識は、年が経てばそれなりに増えます。しかし、動機づけは、そうは行きません。
 患者さんを診ることにどれだけの価値観を持っているかが、医師としては、大きな問題だと思います。土曜日は、30人ほど来ました。日曜の昨日は、3人入院しました。今日は、朝、7時過ぎに、日齢20日の子が、父親が誤って頭を踏んだと言って心配になって来ました。私の場合は、救急に価値観を持ち、自分の体に無理が行かない様に、周りから助けてもらいながら、楽しく統計を執りながら、小児救急をしています。

 表は、娘が送ってくれたアトランタでのカイロプラクターになる為の学校(大学院)のカリキュラムです。

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為になるかも知れない本(その71)

2007-04-23 07:46:44 | Weblog
○専門3年、2月12日(水)晴。
 恵ちゃん、検査上、今の所、異常がないとのことだった。全く嬉しい。慢性腎炎ではないらしいのだ。
○専門3年、2月13日(木)曇。
 恵ちゃんがバレンテインデ一の為か、チョコレ一トをたくさんくれる。早く元の体に戻って欲しい。同じ部屋の他の二人の患者さんと知り合いになった。医者って、いろんな人と知り合いになれて楽しいだろうなあ。
○専門3年、2月15日(土)晴。
 眼科のポリクリが終わった。中心性網膜炎、網膜中心動脈閉塞症など大切な疾患が多い。口頭試問があって、くじを引いて近視が当たった。一番答え易い問題だった。

 眼科と言うのは、目だけかと思ったら、大間違いだった。糖尿病にしても眼科学的知識は必須で、いや反対に、内科や神経を知らないと、眼科の疾患を充分に理解できないと言うべきで、突っ込んで行くとスゴイ量であり、物理学的思考力を必要とし、正に専門領域って感じである。顕微鏡を使って0.5mmしかない角膜の間を縫っているのだ。

○専門3年、2月17日(月)晴。
 耳鼻科での初めてのポリクリ。喉頭鏡での要領をつかめなかった。耳鏡、鼻鏡、喉頭鏡、後鼻鏡、額帯鏡、易しそうで大変難しいのだ。
○専門3年、2月21日(金)雪。
 雪が降っている。寒さには強い。恵ちゅんは元気。大学って、とても息苦しい感じだ。上と下がはっきりしている。医者の世界って、初めはどうしても徒弟制度にならざるを得ない。若い医者は、実力がない。大学の医局って、とても閉鎖的な感じがする。しかし、大学病院の様な大きな病院で研修しないと一人前にならない。人生、甘くない。
○専門3年、2月22日(土)雪。
 医局員が、僕等の前で教授から叱られていた。その医局員は、さっき、我々が教わっていた先生なのだ。教授は、患者さんにはとても優しいが、医局員に対しては厳しい。
 耳鼻科の○○教授は、癌の手術は、全て教授がして、部下には殆どさせない人であった。患者の命がかかっていうからという理由で、医局員には自分の腕を盗み取れと言われていた。
○専門3年、2月27日(木)曇。
 恵ちゃんの隣の患者さん(バセド一病)の彼が亡くなった。MS(僧帽弁狭窄)+AR(大動脈閉鎖不全症)で、二外科で手術したが、うまく行かなかったのだ。バセド一病の彼女は一日中泣いていた。医者には失敗は許されない。その為にはしっかり勉強しておくしかない。しかし、大学病院でも死ぬべき人は死ぬ。手術中に医局の前で座ってずっと拝んでいた患者さんの親を見たことがある。医者とは苦しい職だ。そう言えば、耳鼻科の○○先生が講義の時に、「医者がバラ色の様に思っている人がいるが、それは誤っている!」と僕等に言われたことがあった。
○専門3年、2月28日(金)晴。
 恵ちゃんが11時に退院した。万歳!

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イランって?!

2007-04-22 20:01:01 | Weblog
  平成19年4月22日の熊本日日新聞の読者のひろばには、次の様な声があった。
 (原文のまま)
 前○慎○(44歳)(天草市)
 かって私は中東のイランを一人で旅した。アメリカのブッシュ大統領から「悪の枢軸」と批判され、国際舞台で悪者にされている国である。旅立つ前は、そんな危険なところへ一人で行って大丈夫かと多くの人が心配してくれた。
 しかし、私を待っていてくれたのは、笑顔と優しい心を持った人々であった。反米国家なので対米ドルレ一トが極端に悪く、申し訳ないような物価であった。市内のバスが三円、喫茶店のジュ一スが五円だったのを覚えている。それゆえ、国民は容易に国外へ出ることができず、外国や外国人に興味津々である。
 世界的遺産・ペルセポリスでは数十人の女子学生が私を見つけるなり、歓声を上げて走り寄ってきて質問攻めにした。また、日本への出稼ぎ経験があり、とてもいい国だったと、流ちょうな日本語で語ってくれた青年がいた。みんな、国家と民族の歴史に誇りを持って生きている人たちである。
 六日の滞在であったが、素晴らしい人々と出会い、一度として嫌な目には遭遇しなかった。空港で出国のゲ一トをくぐる時、涙ぐんだほどである。誰もがあこがれる世界の観光地で、すりや盗難の被害に遭い、幻滅した人も多いと思う。メディアから受けるその国への先入観とは恐ろしいものだ。次々と広がり、誤った世論を形成するのではないかと感じた旅であった。


  (2年前に)バンク一バ一の語学学校に(3週間)通っていた時、イランの女性が同じクラスにいて、授業の合間によく話していた(服は全く普通の姿であった)。彼女に、イランで一番深刻な問題はと尋ねると、「政治」と言い、2番目はと言うと、「政治」と言い、3番目も「政治」と言われた。トルコの様に、政教分離をするべきだと多くの人が思っているとも言われた。とてもフレンドリ一な女性であった。イラン人の日本人に対してのイメ一ジは、とてもいい様で、その女性の夫も日本人と一緒に母国で仕事をしていると言われた。
  大川市にいた時に、(日本語と英語とイタリア語とフランス語と母国語のベルシャ語が話せる)イラン人がいた。夕方利用する食堂にしばしば来ていて、その時に、よく話をしていた。彼の話では、「イランの学生は、非常にくレベルが高い。学校での学習量がすごく多いが、皆、一生懸命にそれに付いて勉強している。高校生で既に、外国の大学生並のレベルを充分に持っている。世界のどこに行っても、イランの高校生のレベルの高さに、多くの国が驚いている。」と言われた。医療の面でも、非常に高いとのこと。
  二人の話を聞いて、共に、イラン人の愛国心の強さと同時に母国に対する誇りも強く持っていると感じていた。
*イランを旅行していた韓国人の大学生からの話では、イランでは、バスが、予定の時刻よりも常に(1時間)前に来ていたとのこと(イランの人にも確認したら、そんなことが多いとはっきりと言われた)。こんな国は、アラブ圏では、イランだけらしい。バングラデシュ・インド・パキスタンの次に、注目すべき国は、イランになるかも知れないかな・・・?!

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インドの実態は?

2007-04-22 12:26:20 | Weblog
 年間あたり15万人(2006年)、インドの民間病院に治療目的で外国人が訪れる。インドの民間病院に訪れる理由は、先端医療の医療費がアメリカの約3分の1だから。そんな内容が民放のテレビで流れていた。
 平成19年4月19日に、インドにまる1年間いた人から聞いた話です。その人は、日本の国からの派遣で、日本料理を教える為に、インドアチコチを行っていました。特別待遇だったそうですが・・・。
 初めに、 ハエを打つ人と、打ったハエを拾う人が別だったのを知った時には、ビックリしたそうで、カースト制度がある為に上下の区別ははっきりしていて、貧乏人はどう頑張っても上に 上がれない仕組みになっているとのこと。もちろん、言葉も交わさないケースが多いとのこと。ダッカにホ一ムステイした時、ダッカの人で、インドの大学を卒業した人がいて、やはり全く同じことを言っていた。
 川で死体が浮いてい ても、そのすぐ近くの水を使って食事の用意をしているのには、さすがにビックリしたとのこと。
 医療の進んだカナダでも、普通のカゼでは待ち時間が長くて、諦めて受診しなかったとある日本 人が言っていた。その点、タイの医療制度は素晴らしく思えている。自分自身が歯の治療で受診しましたが、自費でしたが、(インプラントでかけたのを埋めるだけでしたが)500バー ツで済みました。
 マスコミは、ある一面しか報道していない所があるので、変なイメージを見ている人に与えはしないかと、少し心配。
 


  現在、世界の人口は、中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、バングラデシュ、ロシア、ナイゼリア、日本の順に多い。この10の中で、先進国で、10位に入っているのは、アメリカと日本だけである。ドイツは、8000万人台で、フランス、イギリス、イタリアは、だいたい同じ位の6000万人台である。
  2050年には、そのまま(戦争などがなくて)推移して行けば、インド、中国、アメリカ、パキスタン、インドネシア、ナイゼリア、ブラジル、バングラデシュの順になるだろうと予想されている。
  インド、パキスタン、バングラデシュを合わせた人口の数が世界のそれに占める割合がどんどん大きくなっている。しかし、元は、その3国は一つの国だった訳で、それなりに、似ている所が多いし、それなりにいろんな面で緊密に影響を与え合っている。
  パキスタンとインドの政治的な争いがなくなれば、世界の動きは、この3国を無視しては通れなくなるだろうし、今も、IT産業などでは、インドが世界をリ一ドしている感じにもなっている。

  ダッカに16日間いた時に、正に、戦後しばらくして活気づいていた日本の姿とダブって見えてしょうがなかった。

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イルカに触った団塊世代

2007-04-21 14:12:09 | Weblog
 天草の本渡に一人旅をしてきて、いい思い出が出来た。
 17日に、陶芸を、18日に、イルカに触れたのが、良かった。又、松島での夜景は、素晴らしかった。
 アレグリアホテルに隣接したイルカワ一ルドで、イルカ(17歳の雄)に生まれ初めて触れた。温かい軟らかい感じで、マシュマロを触っている感じだった。スナメリの寿命は、30歳で、調教はかなり難しいとのこと。しかし、触らせてもらって、感激。

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為になるかも知れない本(その70)

2007-04-20 19:01:55 | Weblog
○専門3年、2月6日(木)雨。
 恵ちゃんが入院した。大学病院の9階のはしっこ。とてもいい場所だ。眼科の教授の診察を見た。小さな声で早口で独語で言うのを医局員が一生懸命にカルテに書いている。F先生は僕の肩を叩いて、「田原君、どうだ、眼科面白いだろ。細分化して、内科に行っても、結局専門のことしかしてない。内科に行って一つのことをする位なら、眼科に来た方がいいよ。」と言う。そういえば、夜間診療所の先生(34歳)も、大学にいると一つのことしか出来なくなるから、開業したと言われていたなあ。
○専門3年、2月8日(土)晴。
 恵ちゃんの所に4時間位いた。血尿がなくなった様だ。主治医のY先生、とても感じのいい先生だった。僕も早く医者になりたい。恵ちゃん元気。僕も少し元気が出て来た。

 彼女が入院したから、彼女と結婚のことばかりを考えていた。慢性腎炎であったらどうしようかと。慢性腎炎でも結婚生活に耐えられるかどうか。そして、子どもを生むことが出来るのかどうかと。それに、親を説得することが自分に本当に出来るかどうかと。何度も自分に問うた、本当に慢性腎炎だったとして、それでも、本当に彼女と結婚するのかどうか?それとも、一生結婚しないのか?



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為になるかも知れない本(その69)

2007-04-18 07:44:00 | Weblog
○専門3年、2月2日(日)曇。
 恵ちゃんは寝ている。それなのに血尿は引かず、むしろひどくなっている。彼女は、無理をしているのだ。自分の体は自分で守るしかないのに。無理が一番いけない。今日の一日はとても早かった。あっと言う間に終わった感じだ。恵ちゃんは、腎炎で、予後不良の腎炎になるのだろうか。そんなことはない。あまりにも元気だから。無理をしたからだ。血尿、恐ろしいなあ。しかし、いつまでも続く訳がない。いつかは、必ず止まるはずだ。
○専門3年、2月3日(月)曇。
 診療所に再び行ったら、入院した方がいいでしょうと言われた。彼女は、又、痛い注射をおしりにされていた。紹介状を書いてくれた。それで、O先生(第二内科の腎臓専門)に電話したら、ちょうど家に帰った時で、忙しいのにとても温かい返事がもらえた。有り難いことに、明日の10時に診察してくれるとのこと。今日は、初めての眼科のポリクリで、全く駄目で、教授からコテンパ一にやられた。
○専門3年、2月4日(火)曇。
 ○先生が診察してくれた。有り難い。全く。そして、木曜日に入院することになった。「慢性腎炎の疑い」と独語で書かれていた。眼科のポリクリの途中で、1時間抜け出した。F先生に理由を言ったら、快く承諾してくれた。F先生、○○と違ってとても優しい。

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天草紀行

2007-04-17 20:44:19 | Weblog
 昨日は、天草○○○○ホテルに泊まった。着くと荷物をホテルにおいて、(外国でよくしていた様に)直ぐにアチコチ歩き出していろんな所を見て回った。同級生がしている天草○○病院に行った。彼は、そこの院長で、循環器を担当していた。会ってもらえて、20分程、話をした。病院は、すごく明るく、建物がめちゃくちゃ立派だった(何でこんなすごいのがと思った)。その直前に、他の病院も見ていたので、尚更、そう思えた。彼自身が大部分を1年間もかけてじっくりと設計したそうで、光の取り方に特に気を配ったと言われた。富山薬科医科大学からのニュ一ドクタ一が今年から来ている。東洋医学も積極的に取り組むつもりだと言われていた。話している途中で、何度も電話が鳴っていた。忙しいのだなあ。演奏依頼を頼まて、快く受けた。
 その後も、テクテク歩き、何度も迷って(本渡は、迷路だなあ)、やっとホテルにたどり着いた。このホテル、建物は貧弱なのに、夕食の料理が余りにも豪華で、量が多くてびっくりした。
 今日は、あちこち行った。有名な公園にも行って(キリシタンの墓が沢山あったが、なぜか、サンスクリット語で書かれた墓もあったが)、汗をかいた。その足で、昼食を摂った後に、焼き物をする所に行った。ドクロで手際良く作っているのを見て、感動した。わずか2分足らずで、どんどん同じサイズのお茶碗を作って行く。プロとは言え、すごい、すごい。窯元は、「1000個は、アマチュアの作品、1万個作れば、プロの入り口、3万個作れば、何とか売れるものになる」と言われた。
 で、頭を下げて、いきなり作らせてもらうことになった(もちろん、ロクロは、まだ使わなくて、手で)。13時~15時まで、没頭して2つの湯飲み茶碗を作った。初めてにしては、不満足ながら満足した。1カ月したら、送ってくれるとのことで、割れない様にと、(乾いて来ると、ヒビが入る)ヒビのちょっとでも入った所を入念に修正した。多分、大丈夫でしょうとは言われたが。
 陶芸に入ったら、はまりそうだなあ。全てを捨ててめり込みそうだ。2時間、何も考えなかったなあ。

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為になるかも知れない本(その68)

2007-04-17 19:52:14 | Weblog
○専門3年、1月22日(水)雨。
 麻酔科、まだ3日しか経っていないのに、ずいぶん経った感じだ。麻酔科のポリクリでは、遅くとも朝の7時15分までに行かないといけない。電解質の代謝の理解、麻酔科では、これが基本だ。救急処置が出来る様になるといい。教授が、「考え方が大事。多くのことを暗記する必要はない。最低限のことをしっかりと覚えて、あとはそれをもとにして、応用がどんな時にもそれなりに効く様にしておくことが大切。」と言われた。どんな場面に出くわしても、順序立てて考えることの出来る医者にならなければいけないのだなあ。
○専門3年、1月23日(木)晴。
 ペインクリニックを見た。星状神経節に麻酔をしていた。三叉神経第一枝にも。針麻酔を見せると言うので、すごい装置と思っていたら、実に簡単な装置で拍子抜けした。
○専門3年、1月28日(火)晴。
 この寒いのに、朝の7時15分集合は、きついなあ。麻酔の先生って、皆、毎朝6時半には既に手術場に集まっている。一年中あんなに早くから集合しているなんて、知らなかったなあ。教授の酸塩基平衡懇談会8回目があった。○○さんって、面白い。遅れて来て、一番前にどかってと座って直ぐに寝ていびきをかいて、終わるちょっと前に起きて、あんなに大きな拍手をするなんて。
○専門3年、1月31日(金)曇。
 麻酔科での知識は、とても大事だ。理論をすごく重視している。何故か、何故かばかりだ。それが理解出来るには、生化学と生理学の知識が必要。明日は、恵ちゃんに久し振りに会う。映画かダンスに一緒に行こうかなあ。
○専門3年、2月1日(土)曇。
 恵ちゃんとデ一トしたら、恵ちゃんが、血尿が出ているとのこと。それで、夜の10時頃、夜間診療所に行った。恵ちゃんの勤務、3時間しか寝てない日が4日の内に2日もあったなんて。すごい血尿だ!沈渣では、幸いに円柱はなかった。何の病気かなあ?特発性腎出血であってくれればいいが。どうしてこんな風になったのかなあ。浮腫はない。貧血もない。熱がちょっとある。恐ろしくてあまり考えたくない。


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為になるかも知れない本(その67)

2007-04-16 07:39:41 | Weblog
○専門3年、1月6日(月)曇。
 初めてのポリクリ(臨床修練)、患者さんはパ一キンソンみたいだった。先生方がすごく偉く見えた。こんな風に臨床修練をして、1年間が過ぎるのだなあ。一歩一歩確実に経験を積んで覚えて行くしかない。自分の本当の実力は、自分が一番よく知っているはずだ。
○専門3年、1月9日(木)曇。
 一内科の回診があった。原発性肺高血圧症の患者さんの聴診をした。ベ一チェット病、大動脈炎症候群、下垂体機能低下症、末端肥大症など、教科書的な病気が沢山あってびっくりした。そう言えば、霧島に行った時にも、アミトロ(筋萎縮性側索硬化症)やスモンなどの珍しい病気があったなあ。こんな風に、一つ一つ実際に診て覚えて実力がついて行くのだなあ。
○専門3年、1月10日(金)曇。
 一内教授のポリクリだった。フレ一リッヒ症候群らしき人だった。肥満の男性で、性器が小さかった。何か、我々は、非人道的なことをしている感じにもなった。既に医師になっていればいいのだろうが、まだ医師でないのに、いくら教育の場とは言え、何となく患者さんに悪い気がした。
○専門3年、1月18日(土)雨。
 パ一キンソンの患者さんだった。半側パ一キンソンだった。○○病院で分からず、大学病院に来たら、パッと分かるなんて、やはりオ一ルラウンドの能力が要求される感じだ。医師の実力不足で悩んでいる患者さんがいることは、確か。医師は、自分の実力を充分に把握しておくことが、最も大切なことの様な気がした。よく分からないで副作用の強いステロイドを使うのは、怖いなあ。

 2週間の内科でのポリクリが終わった。毎日、とても疲れていた。自分だけかと思っていたら、他の人もそうだった。患者さんが実際に目の前にいるのといないのでは、疲れ方が全く違っていた。内科は量が多いし、難しいし、特に、神経が難しく感じた。

○専門3年、1月20日(月)晴。
 麻酔科第一日目。A先生は、手術場ではいつものおだやかな顔はなく、殺気だった顔になって、実に厳しかった。研修しても意欲がなければ進歩はない、出来なくてソワソワしている時が一番進歩している時だと言われた。ラジオで若い医師等が医療ミスに付いて語っていた。この先、全ての医師は、自分の医療に対して保険を掛けざるを得なくなるだろうと。未熟な医師であればある程、高額な保険に入っておかないといけないとのこと。今からの医者の世界は、甘くないなあ。


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