何を見ても何かを思い出す

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お山の楽しみ その弐

2016-08-25 23:33:55 | 自然
「お山の楽しみ その壱」より

お山の楽しの一つに食事があるが、読書もまた山小屋での時間を楽しませてくれるものだ。

本を持参できない旅行だと手持無沙汰になることが多いのだが、山行では、そのような心配は、まず無い。
どの山小屋にも山岳関係の本を中心にかなり充実した本棚があり、私が「岳 みんなの山」(石塚真一)やコミック「神々の山嶺」(画・谷口ジロー 著・夢枕獏)を読んだのも、山小屋でのことだった。

今年も良い本との出会いがあった。
「穂高の月」(井上靖)

井上靖氏の本は読みつくしていると思っていたのだが、山小屋本棚で見つけた「穂高の月」は未読だった。

そもそも私が河童橋から足を延ばして歩き始めたのは、「氷壁」(井上靖)の世界を少し垣間見たかったからでもある。
「氷壁」に何度となく登場する「徳澤小屋」に行ってみたい」 が実現すると今度は、主人公・魚津恭太と滑落した無二の親友・小坂がとりついた壁(夏山にしか登れないため、氷壁を見ることはできないが)を見てみたい」 になり、それも叶うと魚津が加藤文太郎ばりのカタカタ手記を遺した滝谷へと想いは移っていったのだ。

「穂高の月」は自然観を語るエッセイ集で、お山「穂高」に関するものばかりではなかったのだが、幾つか印象に残った話があった。
井上靖氏は犬であれ猫であれ生き物を飼うのが好きではなかったこと、ご自身はペットを飼うのを嫌いながらも家族が犬好きであったため、涸沢ヒュッテで飼われていた犬(エコー)の子と長く暮らされたことなども、今の私には特に興味深く感じられたが、一番の驚きは、あれほど登山家の心情を描いておられながら実は「登山と云う行為が嫌いだ」と言い切っておられることだった。
高い処に登り下を見下ろすことになる「登山は嫌いだ」とされながら、「人間のなかで登山家という人種は信用できる」として愛しておられることの微妙なバランスが、底の浅い私には理解が難しいのだが、そのあたりは「氷壁」の魚津の上司・常盤常務の弁に表れているのかもしれない。

常盤は、山に登るための休暇や給料の前借を申請する魚津に度々「登山・登山家議論」を吹っかける。
『なぜ山に登る?山がそこにあるから―か』
『山へ登る。一歩一歩高処へ登って行く。重いものを背負って、うんうん言いながら山へ登って行く。結構なことだ。このちっぽけな会社から貰うたいした金額ではない月給の大半を、山のために使い果たす。御苦労なことだ。郷里では老いた両親が大学を出した息子に嫁をもらわせたがっている。ところが息子の方は嫁どころではない。暇さえあれば山に登る。山にうつつをぬかしている。』
『僕は君と違って、高処から一歩一歩、低いところへ降りるのが好きだ。一歩足を運ぶ度に、自分の体がそれだけ低くなる。不安定なところから安定なところへ降りる。この方が少なくとも君、自然だよ』

いつも魚津にこう議論を吹きかけていた常盤だが、魚津が滝谷で命を落としたときの言葉は、激しく温かい。
『彼が現在持っている勇敢さを失わない限り、必ずいつかは死んだことだろう。死が充満している場所へ、自然が人間を拒否している場所へ、技術と意志を武器にして闘いを挑む。それは確かに人間が人間の可能性を験す立派な仕事だ。往古から人類は常にこのようにして自然を征服してきた。科学も文化もこのようにして進歩してきた。人類の幸福はこのようにして獲得されてきた。その意味では登山は立派なことである。しかし、その仕事は常に死と裏腹なのだ。~略~(彼は)会社員ではなく、まだ登山家だった。山を愛し、山を楽しむために行ったのではない。山を征服しに、あるいは人間の持つ何ものかを験すために1人の登山家として山へ行ったのだ。』

何度も「ばかめが!」と言いながら、常盤はしかし魚津について思うのだ。
『それにしても魚津恭太はなんといういい眼をした奴だったろう』 かと。

常盤と魚津の「登山・登山家談義」は間違いなく「氷壁」の魅力の柱であるが、本書を読めば、徳澤小屋として描かれる「氷壁の宿 徳澤園」にも興味をかきたてられる。


山を歩き始めた15年ほど前でも人気の宿だったが、今ではちょっとやそっとで予約がとれる宿ではない。
重厚感のある内装に、スタッフの方の行き届いた心づかい、相部屋8000円(15年前)とは思えないほどの美味しい料理は、どれをとっても山人を満足させるものだが、ここ何年も予約がとれた例がない。
それでも徳澤園が私にとって重要な場所であるのは、帰路疲れ切った体を引きずっている時に、鼻先にぶら下げる人参として、徳澤園のカレーうどんとソフトクリームほど効果のあるものはないからだ。



観光地・上高地と岳人の世界の境界でその変遷を見守り続けてきた「徳澤園」の代表取締役にふさわしく上條氏は、「第1回「山の日」記念全国大会」の実行委員会副会長として、皇太子御一家を岳沢湿原から明神池まで案内されたという。

岳沢湿原へ注ぎ込む岳沢の渓流


山への想いは、まだまだつづく