何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

末広がりと煩悩の鬩ぎ合い?そして、融和

2017-04-11 00:00:05 | ひとりごと
「あぁ勘違い人生論ノート①」 「あぁボケ人生論ノート②」 「花見るまでの心なりけり」 「頑張れ お空組&一心同体組」より

途切れ途切れになってしまったが春の広島・山口の旅の写真の締めくくりをしておこうと思う。
本来は、その一番の目的であった広島原爆ドームと平和記念資料館について一番に記すべきであったし、桜の時期に「戦争と平和」を考えるのに打ってつけの本も見つけていたのだが、今は長編を読み通す時間がない。

「また、桜の国で」(須賀しのぶ)
最初の20ページほどを読んだだけで、「これはいけない」と思った。
もちろん内容がいけないのではない。
本書は、第二次世界大戦前にポーランドに派遣された外務書記官を主人公とする物語のようだが、最初の20ページくらいを読んだところで「総統の防具」(帚木蓬生)を思い出したのだ。
「総統の防具」には、ドイツが近隣諸国を蹂躙していく様や、それに現地の日本人外交官が不信を募らせながらも、大使館内で日に日に力を増していく大島大使を始めとする武官に追随していかざるをえない様が詳しく描かれており、読み応えがあったが、それと同様の空気を「また、桜の国で」の冒頭に感じた為、これは時間がある時に本腰を入れて読まねばならない本だと思ったのだ。
という訳で、本書は「総統の防具」と併せて時間をかけて読むことになると思うので、原爆ドームと平和記念資料館の写真も、8月6日前後に掲載するつもりである。

さて旅の最終章、宮島・厳島神社
曇天のせいで海に浮かび立つ朱色の大鳥居が映えないが、「終日雨との予報が外れただけでも儲けものだ」と嬉々としてフェリーに乗り込んだ。だが、ここから少し異変はあった。

御大以外の家族は皆、原爆ドームも平和資料館も厳島神社も訪れたことがあったのだが、とくに昨年秋にそれらを訪れたばかりの家人の説明が、少しずつ御大の気に障り始めていたのかもしれない。
「宮島口から宮島へは二社のフェリーが運航しているが、大鳥居の近くを通るJRの方がお勧めだ」
「回廊の床板には隙間があるのだが、何故だと思う? 
 回廊の柱の間隔は8尺で、その間の床板は8枚、では回廊の柱は全部で何本?」
何もない時には他愛のない話なのだが、自分の都合で突然の訪問を決めた御大にとっては、再訪を強調するウンチクに感じられたのかもしれない、日頃から気難しい横顔が更に難しくなりかけていた、その時、近くから大きな声があがった。

「それは、当てこすりか!」
見れば、御大と同年配の前期高齢者(後半)と思しき ご夫婦のうちの夫が、4~5歳の女の子を連れた若い夫婦を睨みつけている。

この年配夫婦は、回廊の欄干に腰掛け代わる代わる写真を撮り合っていた。
これを見た参拝者の多くは、必ずしも いい顔をしていたわけではなかったが、誰もが黙って通り過ぎていた。
そんななか、この年配夫婦の真似をしようと思ったのか、4~5歳くらいの女の子も欄干に腰掛け写真のポーズをとろうとしたのだが、それを若い両親が「神様のお家だから、そこへ座ってはいけません」と窘めた。
これが、年配夫婦の気に障り、「当てこすりか!」の大声に繋がったのだ。

年配夫婦の明らかに理不尽な「当てこすりか!」の言葉は、御大だけでなくウンチクを垂れていた家人にも何某かの気付きを与えたのかもしれない。
この言葉で我が家に流れていた空気が変わり、それ以後は穏やかに会話も進み、最終的には清々しい気持ちで参拝することができた。

ところで、一度訪ねたことがある場所でも、年齢や社会情勢により心に残るものは異なってくる。
  
この、天皇陛下の勅使だけが渡ることを許されるため「勅使橋」とも云われる「反橋」も、境内のそこかしこ にある後白河院や平清盛についての説明書きも、以前訪問した時にもあったのだと思うが、あまり印象に残っていない。
だが、生前退位が現実味を帯び、院政を思い起こさせる「上皇」(上・皇后??)という言葉が頻繁に聞かれる現在では、それが与える印象は、生々しいと云えなくもない。

そんな一抹の心配を感じながらも、厳島神社を後にする時にはワンコによく似た鹿さんの見送りを受け、幸せな気持ちで宮島から岐路についた。
やっぱりワンコだな 
そう思える春の広島・山口の旅行であった、ありがとう ワンコ

追記
回廊の床板に隙間があるのは、台風の時などに海水で床が押し上げられ外れてしまうのを防ぐため。
また、厳島神社は神仏習合の影響を受けているためか、末広がりの「8」だけでなく、除夜の鐘の「108」という数も多く見られる。家人が問うた「柱の数」もそうだが、社殿の釣り灯篭も参道の石灯篭もそれぞれ108基あるという。