何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

連作② 山犬ヤクルト

2017-04-23 18:55:05 | 
「連作① 山犬ヤクルト」より

「嫌ミスの女王」の登場人物の感覚に共感することが多い私は、私自身「嫌な人」なのだろうかと思っていたが、作者と身にまとう「時代の空気」が近いことが、その理由の一つにあると、「嫌ミスの女王」初のエッセイを読み理解できた。

作者が云う『祭のあと世代』に属する者が皆「似ている」と言い切ることは出来ないので、他にも理由を探すと、やはり本書の題名に行きつくのではないかと感じている。
「山猫珈琲」(湊かなえ)

作者自身は、「山」「猫」「珈琲」に絶対の拘りがあるのかもしれないが、「海」「犬」「紅茶」を好む人が読みづらい本では、決してない。
要するに、雄大な自然と、生活空間にいる愛おしい動物と、ホッと一息つける一杯の飲み物が、湊氏の怒涛の作家生活を支えているということなので、他の何かを排斥する意図はまったく伺えない。
ただ、その冒頭にあげられるのが「山」であることに強い共感を覚え、『祭のあと世代』と相俟って、「似ている」に繋がるのかもしれないと、自分なりに分析している。
天狗池から望む槍ケ岳

湊氏は、北穂のてっぺんから槍ケ岳の雄姿を見た感動と、その感動が導くままに北アルプスを縦走した経験と、それらに重ねた人生論を語っておられるが、その感動と感想は、そのまま私の想いに繋がってくる。

『山は寛容な存在です。
日常生活において、目標に向かって必死に努力しても、すべてが報われるわけではありません。
運に恵まれなかったり、他者からの妨害にあったり、自分の実力に限界を感じてしまったり。
しかし、山は一歩一歩進んできた人を温かく迎えてくれます。その頂を踏ませてくれます。
頂から眺める自分が歩いてきた道は、努力のあとであり、今後の自信にもつながります。
もちろん、時には引き返さなければならないことも、頂上が見えているのに、諦めなければならないことだってあります。
しかし、山はそこにあり続けてくれます。何十年の時を経て、再挑戦することもできるのです。
そして、成功出来れば、また、次の山に登りたくなるのです。』(『 』「山猫珈琲」より)

私が初めて登った3000メートル級の山も北穂高だったこと、そこから見た奥穂と槍ヶ岳の雄姿に高揚感が掻きたてられたこと、それらの華々しさとは異なる常念岳の安定感ある大らかな山容に感動したこと、何より一歩一歩歩くことに人生を重ねること、これら全ての経験と感動が、湊氏のものと重なることが、何がしか「似ている」と感じさせる要因になっているのではないかと、今は思っている。

かなり疲労困憊している現在、初めてのあの山を思いだし活力を得たいが、フィルム派だった当時の写真をスキャンしたりネガをデジタル化する元気と時間がないので、昨年登った蝶が岳から望む穂高連峰と槍ヶ岳の雄姿をここに掲載し、元気をもらおうと思っている。