2019年9月26日
私が長年心をこめて応援してきた世界が崩壊することが、ほぼ確定する日となった。
それは、民主主義を愚弄する暴挙だと、私は思う。
8割を超える国民の声を無視し、秘密裏に既成事実を積み重ねてしまう、いと高い(のか下衆なのかもはや理解不能)処と為政者と。
それを知れば、違和感や嫌悪は有しても、今日の自分の生活に直接影響なければ、スルーする国民と。
味をしめた力の中枢は、同じ手法で、国民をゆでガエルにしていくのだろう。
だから、9月26日は終わりの始まりの日に思える。
そんな思いで、9月26日のニュースをみていると、9月26日は特異日だという。
昭和史に残るような甚大な被害をもたらした台風が、9月26日に集中してことから、9月26日は「台風の日」とされているのだそうだ。
その台風の一つが、洞爺丸事故を引き起こした1954年の台風15号だったのだが、この台風は規模もさることながら、台風の直撃を受けた青函連絡船が乗客乗員1155人の死者行方不明者をだし、日本の海難史上最大の事故となったことで知られている。
海難事故での人道的行為というと、タイタニック号の「女性や子供を優先的に救助した話」や「乗客が平常心を保てるようにと、最後の最後まで演奏を続けた演奏家たちの話」が有名だが、洞爺丸事故でも、自らの救命胴衣を差し出し他人を救った牧師がいたことが、描かれている小説がある。
民主国家の根幹である議論も手続きの適正化も透明性もすべて蔑ろにしてしまう、そんな醜い我欲が大手を振って歩いてしまうことを見せつけられた9月26日に、洞爺丸の人道的行為を用いて人間の自分勝手さや醜さの業を浮かび上がらせた小説を思いした皮肉を感じつつ、週末久しぶりに、その本を手にとってみた。
「氷点」(三浦綾子)
感想などは、又つづく