何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

六月六日が育てる心

2016-06-06 20:05:20 | 
読み終わり、今日にふさわしい本だったと気が付いた。
「ツバキ文具店」(小川糸)

江戸時代から続くとされる由緒正しき代書屋を、三年前に亡くなった先代である祖母から受け継いだ雨宮鳩子(ポッポちゃん)という主人公と依頼人との物語が、鎌倉を舞台に美しくつづられている「ツバキ文具店」

歴史上存在する右筆はともかく町の代書屋さんは、依頼された文章を<代筆>するのだと思っていたが、この物語では、そうではない。
お悔み状や借金の申し込みを断る手紙のような定型的な文章ならば文章内容が一任されるのも理解できるが、絶縁状から離婚の挨拶状、果てはとっくの昔に亡くなった父からの手紙を待ちわびる母を楽にしてあげるための手紙の内容まで、代書屋さんに一任されるのには驚いた。
もっとも理由を読めば、代書屋さんに一任してしまう気持ちも分からないでもない。
まだ幾らか残っている絆を断ち切らねばならないとき、自分の筆では斧でスパッと断ち切るようには書けないかもしれない。
離婚する妻にまだ少し未練がありそうな夫の「よく、終わりよければすべて良し、って言うじゃないですか。この手紙を、そういうものにしたいんですよ。でも自分では感情が溢れてしまって、書けませんでした。だから、よろしくお願いします」という依頼の言葉を読めば、そういうものかと思わないでもない。
亡くなった父からの手紙が届くと信じ(施設をでて)家へ帰るという母を楽にしてあげるための(父からの)手紙は、父の筆跡に似せて書かれねばならぬためプロに頼むしかないともいえるが、施設に留まって欲しいという子等の事情もあるゆえに、自ら書くには忍びなかったのかもしれないと思ったりもする。

・・・・・読んでのとおり、おそらく私は代書屋さんに内容まで任せるということを納得してはいない、もしかすると代書そのものを、あまり納得してはいないのかもしれない。
先代から代書屋を受け継いだポッポちゃんも学生時代に先代である祖母に「(代書なんて)インチキじゃん!でたらめでしょ、嘘っぱちじゃないの」と食って掛かることがあった。
これに先代は、怯むことなく言い返す。
『たとえば、誰かに感謝の気持ちを伝えるため、お菓子の折詰を持っていくとする。そういう時、たいていは自分が美味しいと思うお店のを買って、持っていくだろう?なかにはお菓子作りが得意で自ら作った手作りの品を持参する人もいるかもしれない。けど、だからといって、買った物には気持ちがこもっていない、なんてことがあるかい?』
『自分でお菓子を作って持って行かなくても、きちんと、お菓子屋さんで一生懸命選んで買ったお菓子にだって、気持ちは込められるんだ。代書屋だって、同じことなの。自分で自分の気持ちをすらすら表現できる人は問題ないけど、そうできない人のために代書する。その方が、より気持ちが伝わる、ってことだってあるんだから』

先代のこの説得でポッポちゃんは一端矛を収めるが、私はなかなかそうはいかない。
もともと上手くない字が慢性的な腱鞘炎で更に酷いものになっても、大切な手紙は万年筆で書くことにしている私としては、心身の不都合以外の理由で代筆どころか内容まで彼方任せにしてしまう代書は、どうしても理解できそうにもないので、たとえ<おもじ>であっても姑の還暦祝いカードぐらいは自筆で書くべきだと思う。
まして、妻子がいる男性の -かつて結婚の約束をした女性がようやっと結婚したと知り「幸せを祈る」などという― 依頼は断るべきではないかと思ってしまう、その男性が手術を前に不安を抱いているとしてもだ。

処々にこの手の違和感を感じながらも、ほんわかと読めてしまうのは、四季折々の鎌倉の描写とそこに住まう人々が美しく描かれていることと、そのような違和感を主人公のポッポ自身が乗り越えてきたことが伺えるからだ。
そして、それが押し付けがましく描かれているわけではないところに、作者の上手さを感じながら、代書屋さんという珍しい分野を描いた物語を読み終えた。

ところで、「ツバキ文具店」を6月6日に読むのにふさわしいと書いたのは、ポッポちゃんが習字の練習を始めたのが、6歳の6月6日だったからだ。
『初めて筆を持ったのは、六歳だった。
 お稽古ごとが上達すると言われる六歳の六月六日、私は初めて自分専用の毛筆を手に構えた。
 赤ちゃんの頃の私の産毛で作った毛筆だった。
 今でも、その日のことは鮮明に覚えている』

六歳の六月六日というものに、如何程の理由があるのかは分からないが、理由があるようでないような曖昧な風習も、それを大切にする人の心の持ちようで意味あるものとなるのだと感じさせるものが、文中にもう一つある。
<文塚>、手紙のお墓である。
『針供養や人形供養と一緒で、手紙にしたためられた言霊を、受け取った本人に代わって大切に供養する』行事で、初穂料という名目の(任意の)手間賃とともに届けられる手紙の『受付期間は一月いっぱいで、その後、旧暦の二月三日にまとめて永代供養を行う』
手紙の永代供養といっても結局は、庭で焼いもや焼きおにぎりと一緒に燃やすだけなのだが、毎朝文塚の水をとりかえることを欠かさない描写でこの物語が始まることから、主人公の手紙への愛情が自然と感じられ、それが「ツバキ文具店」に奥行きを与えているのだとか、このような風習が根付いている日本文化は美しいだとか思いながら読んでいた。

手紙を書くといえば、敬宮様は幼い頃から文(ふみ)を書く精神の一番大切なところを身に着けておられた。
雅子妃殿下のご病状がかなり悪い頃、まだ幼い敬宮様は、母の枕辺にお手紙を届けられたと何かで読んだことがある。
それは、薬で眠っておられる母を起こさない配慮でもあったろうし、その場で答えを急かさない配慮でもあったと拝察している。
敬宮様のこのお心のこもったお手紙は庭の花とともに、やがて入院された天皇陛下やご体調を崩された皇后陛下へも届けられるようになる。
入院先に見舞いに駆けつける順位を争うよりは、病に伏す人の心身の負担にならないようそっと手紙を届ける心の方が、私は素晴らしいと思う。
そのような御心づかいを、幼少にして身に着けておられる敬宮様は、日本の奥ゆかしい精神を受け継いでいかれる方だと信じている。


ちなみに、6歳より前に習い始めたピアノや6歳より後から習い始めた書道をはじめ、あらゆる習い事が中途半端に終わったのは、両親が6歳の6月6日を守ってくれなかったからにない。
私の<おもじ(汚文字)>の原因は、6歳6月6日にあるに違いない。
そうやって自分を慰めている私は、6月6日から一番学ばねばならない大切な心を持ち合わせていないに違いない。

最新の画像もっと見る