四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
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宮地佑紀生(無有)『名古屋っ子』

2020-06-17 10:17:09 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十三】

深夜放送とフォークソング。
深夜放送から数々のフォークソングを聴いていた高校時代。
東海ラジオ「ミッドナイト東海」からこの歌を知った。

宮地佑紀生さん率いるバンド無有の『名古屋っ子』
記憶間違いかもしれないが、無有も全国フォーク音楽祭中部北陸大会に出場したんじゃなかったかな。
そこで入賞してレコードデビューをしたような記憶がある。

この歌、全国的にはそんなにもヒットしなかったが、
地元名古屋地区では、そこそこ人気があった。

宮地佑紀生さん、どちらかと言うと歌手というよりも
ラジオのDJというほうがわかりやすい。
最初の番組が「ミッドナイト東海」。そして「どんどん土曜大放送」。

名古屋でタレント活動する傍ら、名鉄メルサでアクセサリーショップ「参百六拾六日の店」 を経営していた。
僕も一度だけ行ったことがある。
と、いっても店内には入っていない。
店の中には女の子がいっぱい。
男一人では、とても入れる勇気はなかった。

やはりこの人はタレントとして才能があったのだろう。
ラジオだけではなく、メ~テレの「どですか」や中京テレビの「ラジオDEごめん 」など
地元のテレビ番組や地元のラーメンのスガキヤのCMにもでていた。

十数年前にCBCが主催した久屋大通り公園で行われた「青春のグラフィティコンサート」で小堀勝啓アナと司会を務めていた。
この時初めて、宮地さんを生で見たのです。
二人の掛け合いのMCが面白かったなぁ。

地域密着のタレントであった。
残念なことは東海ラジオ「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」で不祥事を起こした事。
新聞でこのことを知ったのはショックだった。 

僕のブロ友さんに宮地さんと親交のあった方がいる。
きっとこのブログを読んでくださっているかと思う。
宮地さんに関しては詳しいと思うから修正・加筆などあれば
コメント欄に書き込みをお願いします。

名古屋っ子(無有)

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4 コメント

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名古屋っ子 (三代目煎餅屋店主)
2020-06-17 18:29:47
宮地さん・・・・ホント努力家の代名詞みたいな人です。
お店の仕入れも(東京)月イチで朝一番の新幹線に乗り、
ラジオ明け不眠で出掛けておりました。
いつもネタ帳を持参し気になる事、思いついた事を瞬時に書き留めておられました。いつ寝ているのか不思議な人でした。
偉ぶらず目線をいつも同じに合わせて離される尊敬できる大人の1人です。
「名古屋っ子」の詩は当時の(今もかな)名古屋の若者気質を的確に捉えたいいうたでした・・・。
もう少しヒットするかな・・・?と思ったような・・・。
返信する
名前 (hirorin)
2020-06-18 10:14:10
聞いたことあるなあと思ってたら、私が知ったのは例の不祥事ででした。
名古屋のラジオとか全然入りませんしね。
地元密着のタレントさんてたくさんいらっしゃいますもんね。
それって、全国区やと思ってたら関西以外の人知らんくて、びっくりしました。
返信する
三代目店主さんへ (四代目桶屋金之助)
2020-06-18 10:54:52
宮地さんについての加筆、ありがとうございます。
ネタ帳をいつも持参しているのはラジオで知りました。
宮地さんの素の姿を知っている店主さんのコメントは参考になりました。

僕もこの歌はもう少しヒットするかなと思っていましたが、
予想以上に売れなかったのが残念です。
返信する
hirorinさんへ (四代目桶屋金之助)
2020-06-18 11:07:50
ラジオ番組ないでのあの不祥事はとても残念でした。
僕を含めファンの方にとっては大きなショックだったかと思います。

深夜放送全盛時代。
地域密着で地元のフォークシンガーがDJをやっていた頃、
一番面白かった地区が京都だったという話しを聴いたことがあります。

hiririnさんの地区は京都のラジオの番組が聴けると思いますが、あの頃の僕は必至こいて深夜、ラジオのチューニングを回しながら京都の放送局の番組を雑音とともに聴いたことがあります。
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