四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

グレープ 『精霊流し』

2020-06-23 09:23:18 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十七】

高校一年のとき、深夜放送から一曲の歌が流れてきた。
♪去年のあなたの想い出が
 テープレコーダーから こぼれています
 あなたのために お友達も
 集まってくれました
 二人でこさえたおそろいの
 浴衣も今夜は一人で着ます
 せんこう花火が見えますか 空の上から

この歌に聴き入ってしまった。
初めて聴く。いい歌だな。歌の世界に気持ちが入っていく。
グレープの『精霊流し』。

この『精霊流し』
東海ラジオ『ミッドナイト東海』でDJをしていた
蟹江篤子アナウンサーが 、でもテープを聴いて気に入って
毎週かけていたという。
グレープ、さだまさしさんと吉田正美さんの二人組。
長崎県出身。名古屋には縁がない。
この地方ではまだ無名だった。

『ミッドナイト東海』をきっかけに
徐々にリクエストも増えレコードも発売される。
そしてレコードのキャンペーンも何回か名古屋市内で行われていた。
僕が最初に見たのが、名古屋栄地下街にあった日産栄ギャラリーの
東海ラジオのサテライトスタジオ。
多くのファンが集まっていたかと記憶している。

無名だったグレープの『精霊流し』はいつのまにか名古屋から全国的にヒットする。
『ミッドナイト東海』から生まれたヒット曲。
もし蟹江篤子アナウンサーがデモテープを聴いていなかったら、
もし蟹江篤子アナウンサーがこの曲を毎週のように紹介していなかったら、
グレープは有名になったかどうか。
蟹江篤子アナウンサー、そして東海ラジオのディレクターさん、
先見の目があったんだろう。

さだまさしさんは、蟹江篤子さんを恩人と呼ぶ。
コンサートツアーがあれば必ず名古屋は外さない。
名古屋に来たら東海ラジオに出演することも多い。

グレープ全盛時代。
東海ラジオ主催で愛知県体育館でいろんなフォーク系の歌手やグループが
集まってコンサートの公開録音が行われた。
これは僕はみに行った覚えがある。
そして忘れらない。
グレープのバックを務めたのがクラフト。キーボードがやまがたすみこさん。
豪華なバックで歌っていた。もちろんトリであった。

さだまさしさんのコンサートは二回ほど刈谷で観ている。
二回とも『精霊流し』は歌っている。
名古屋から生まれた、永遠の名曲である。

グレープの1stアルバム「わすれもの」
1曲目『精霊流し』、イントロの冒頭は花火や爆竹の効果音が入る。
そしてアウトロの最後にまた花火などの効果音。
この効果音が入るとより一層『精霊流し』の情景が浮かぶ。

これを書きながらグレープの復刻盤オリジナルアルバムを聴いています。




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山平和彦 『たまねぎ』

2020-06-22 10:16:57 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十六】

秋田県出身のフォークシンガー山平和彦さん。
この人も東海ラジオ「ミッドナイト東海」のDJを約一年少し担当していた。
僕が中学三年生の時だった。
眠たい目をこすりながらよく聴いていた。

第三回中津川フォークジャンボリーに出演されたり、
話題になった「放送禁止歌」で全国的に注目されていたかと思う。
そんな人が縁もゆかりもない東海地方のラジオ局で深夜放送のDJをやる。
これはラジオ局にとって冒険だったかもしれない。
しかしラジオの影響力は強かった。
瞬く間に人気DJとなった。

そしてDJをやっていた頃、この地方では精力的にコンサート活動もしていた。
彼のアルバム「ライブ!山平和彦」がある。

このライナーノーツに1973年のコンサート日程が記されている。
●キャラバンコンサート
 5月25日 岐阜産業文化会館
   26日 土岐文化会館
   27日 土浦市民会館
   29日 一宮勤労会館
   31日 豊田勤労会館
 6月 1日 大垣商工会ホール
    2日 岡崎甲山会館
    3日 恵那体育館
    5日 上野白鵬青年会館ホール
    7日 松坂公会堂
    8日 津文化会館
    9日 桑名市民会館
   10日 桑名市民会館
   12日 伊勢市民会館ホール
   14日 豊橋市民文化会館
   15日 常滑体育館
   19日 津島福祉会館
   21日 瀬戸市民会館
   22日 名古屋七ツ寺共同スタジオ
   
●キャラバン・リサイタル
 9月15日 多治見大ホール
   16日 恵那体育館
   17日 松坂公会堂
   24日 四日市市民ホール
   25日 津文化会館
   30日 刈谷市民会館
10月 5日 豊橋市民文化会館
    6日 一宮勤労会館
   10日 岡崎市民会館
   13日 伊勢文化会館
   20日 瀬戸市民会館

そしてこのライブアルバムは、
同年12月22日 名古屋市公会堂で行われたものである。

短期間でこれだけこれだけコンサートができたことは
それだけ人気があった証しでもあろう。
刈谷に来たとき、情報はラジオで知っていた。
しかし、僕は行っていない。
なぜだろう。きっとお金がなかったのかな・・・。
クラスの何人かが見に行っている。
コンサートの翌日はその話題をする子もいた。
内心うらやましかった。

これだけ人気がでてしまうとやはり彼も有頂天になってしまったんだろう。
ラジオの本番中にスタッフとトラブルを起こして番組を降ろされた。
それとともに人気も下降してしまった。

山平和彦にとってこの名古屋地区で活動していた時期が一番絶頂期だったかもしれない。

僕は彼の代表作『たまねぎ』を聴くたびに
「ミッドナイト東海」を思い出すのです。

山平和彦 - たまねぎ
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河原龍夫 (アクエリアス )『手を打ちながら走れ』

2020-06-20 10:20:41 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十五】

河原龍夫さん、通称ハーさん。
景三BANDでキーボードを担当していた。

ハーさんも東海ラジオ「ミッドナイト東海」のDJもしていた。
CBCの「土曜天国」にもでていたかな。
この頃、僕は「ミッドナイト東海」は聴いていなかったけど
「土曜天国」はまだ聴いていた。

あの頃はやっぱりラジオが主だった。
地元ラジオ局から名古屋フォーク界も盛り上がっていった時期でもあった。
そして聴く側もおもしろかった。
名古屋には名古屋の味があったかと思う。

彼のバンド、アクエリアスを知ったのは、
中京テレビで放送されていた「5時SATマガジン 」に
出演されていてこの歌を知った。
※ラジオの方が先だったかな? ちょっと記憶が曖昧・・・。
「5時SATマガジン 」よく見ていた。
タイトルを聞くだけで懐かしさが蘇る。
そして歌を聴けば、自分はよくラジオっ子で地元志向だったんだなと思い出す。

20代後半の頃だったかな、
友人に誘われて名古屋錦にあったライブハウスで
ハーさんバンドを見にいった。
アクエリアスではなく、ハーさんバンドとして出演されていた。

バブルの時代。
当時勤めていた会社の取引先のパーティーがあった。
そこにゲストとして河原龍夫さんが来ていた。
これはうれしかったね。
彼らの演奏が始まるといつのまにか前の方にいって見ていた。

2年前の春、刈谷ハイウェイオアシスで行われた
西三河フォークジャンボリーにもゲスト出演された。


久しぶりに見たハーさん。
歌もトークもよかった。

去年は東海ラジオの午後の番組「はーさん! ねねの! すんどめ!」が
放送されていてたまに聴いていた。
聴くたびに思っていた、当時の深夜放送みたいだなと。
この番組が終了したのは残念。
再開してほしいなと思っている。

アクエリアス「手を打ちながら走れ」

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つボイノリオ 宮地佑紀生 伊藤秀志 『オレオレ詐欺のドナタ 』

2020-06-18 09:46:00 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十四】

あの頃の名古屋フォーク界で活躍された人たち。
ラジオとの密接な関係ももっていた。

フォークシンガーでもあるのだが、ラジオのパーソナリティとしてのほうが
色合いが強い感じを受ける人たちも何人かいる。

午前中はCBCラジオでつボイさんを聴いて、
午後からは東海ラジオで宮地さんを聴く。※現在は放送されていない。
このパターン、深夜放送を聴いていた人たちに多かったのではないか。
パーソナリティも年齢が上がっていけば、当然聴衆者も上がっていく。
生活パターンも若いころと比べてかわってくる。

DJからパーソナリティへ。
いつからそういうふうに呼び名が変わったかしらないが、
僕らの世代にとって深夜放送は青春のバイブルだった。

つボイさんの弟子ともいわれている伊藤秀志さん。
彼もいくつかのラジオ番組をもっていた、フォークシンガー。

『オレオレ詐欺のドナタ』
2004年につボイノリオさん、宮地佑紀生さん、伊藤秀志さんとトリオを結成して オレオレ詐欺を揶揄しつつ防止啓蒙する作品を発表されている。
当時、新聞などで話題にはなったが、セールス的には今一つパッとしなかった。

今、10万円給付に関しての詐欺が横行している。
狙われるのは年齢層の高い人たち。
深夜放送世代の上の人たちである。
今こそこの歌が再び注目されることを願っている。 

つボイノリオ 宮地佑紀生 伊藤秀志 - オレオレ詐欺のドナタ (2004)
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宮地佑紀生(無有)『名古屋っ子』

2020-06-17 10:17:09 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 その十三】

深夜放送とフォークソング。
深夜放送から数々のフォークソングを聴いていた高校時代。
東海ラジオ「ミッドナイト東海」からこの歌を知った。

宮地佑紀生さん率いるバンド無有の『名古屋っ子』
記憶間違いかもしれないが、無有も全国フォーク音楽祭中部北陸大会に出場したんじゃなかったかな。
そこで入賞してレコードデビューをしたような記憶がある。

この歌、全国的にはそんなにもヒットしなかったが、
地元名古屋地区では、そこそこ人気があった。

宮地佑紀生さん、どちらかと言うと歌手というよりも
ラジオのDJというほうがわかりやすい。
最初の番組が「ミッドナイト東海」。そして「どんどん土曜大放送」。

名古屋でタレント活動する傍ら、名鉄メルサでアクセサリーショップ「参百六拾六日の店」 を経営していた。
僕も一度だけ行ったことがある。
と、いっても店内には入っていない。
店の中には女の子がいっぱい。
男一人では、とても入れる勇気はなかった。

やはりこの人はタレントとして才能があったのだろう。
ラジオだけではなく、メ~テレの「どですか」や中京テレビの「ラジオDEごめん 」など
地元のテレビ番組や地元のラーメンのスガキヤのCMにもでていた。

十数年前にCBCが主催した久屋大通り公園で行われた「青春のグラフィティコンサート」で小堀勝啓アナと司会を務めていた。
この時初めて、宮地さんを生で見たのです。
二人の掛け合いのMCが面白かったなぁ。

地域密着のタレントであった。
残念なことは東海ラジオ「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」で不祥事を起こした事。
新聞でこのことを知ったのはショックだった。 

僕のブロ友さんに宮地さんと親交のあった方がいる。
きっとこのブログを読んでくださっているかと思う。
宮地さんに関しては詳しいと思うから修正・加筆などあれば
コメント欄に書き込みをお願いします。

名古屋っ子(無有)
コメント (4)
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