四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

高木麻早 『コーラが少し』

2020-06-04 13:30:57 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 其の五】
先日から書き始めた【あの頃の名古屋フォーク界】
これは僕自身の記憶で書いています。
疑問に思ったことはある程度調べてますが、
記憶間違いなどがあるかもしれません。
その点をご了承して読んでくだされば幸いです。

前回は北川とみさんの「忘れたいのに」を紹介させていただきました。
この曲を作ったのが名古屋で活動した高木麻早さん。
このつながりで今回は高木麻早さんについて書かさせていただきます。

高木麻早さんを知ったのはラジオ番組、大石吾郎さんの「コッキ―ポップ」
ヤマハ系のアーティストの歌をかけていた。
当時、好きな番組でよく聴いていた。
僕にとって音楽の情報はやはりラジオ番組だった。

高木麻早さんは番組の初期のころだった。
その後、八神純子さんやあみんの岡村孝子さん、明日香さん、
アラジンや我夢など名古屋勢ががんばっていた。
アーティストの名前をみると名古屋地区はポプコンのレバルが高かったことがわかる。
この人たちからみれば高木麻早さんは大先輩。
目標にしていたのかな・・・。

この『コーラが少し』
詩をじっくりと読むと昭和を感じるが、失恋の歌なのになぜか爽やか感が残る。
僕の好きな歌でもある。
作詞・作曲は、やはり名古屋で活動していた山名敏晴さん。

北川とみさんが高木麻早さんの歌を歌い、
高木麻早さんが山名敏晴さんの歌を歌っていた。
自分の記憶では、山名敏晴さん自身この歌は歌っていなかったかと思う。
山名敏晴さんもFM愛知(だったかと思う)で番組を持っていた。
そこで高木麻早さんの曲をよくかけていた記憶がある。

当時のことは直接会って話したことはないが、
自分の思うのはやはりアーティスト同士のつながりをもって
名古屋のフォーク界を盛り上げていたのかな。
振り返ってみればあの頃はおもしろい時代だったのだろう。

コーラが少し 高木麻早
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする