二〇二五年二月二十日(木)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
タマね、今朝の天気予報はまあまあ当たってるって思った。
どのへん?
雪積もってた。軽くだけど。
まだちらほら降ってたんじゃなかったかな、タマが二階へ上がってきたとき。
降ってたけど気にならなかったよ。それより窓の外見たら向こうのお家のアンテナにカラスさんが止まってるんだ。大きいほうだった。でね、猫としては条件反射的に何度か鳴き声を上げたんだけど全然相手にされてないみたいなんだ。
そりゃタマさん、窓の内側から小さな鳴き声を少々試してみてもカラスさんにはとどかないよ。少しの雪くらいへっちゃらだし。声を上げたって、ん~、貰ったってくらいにしか思ってないかも。
そうなの?たくましいんだね、カラスさんて。
関心してどうすんの。多分さっきも来てアンテナに止まってたあれね、去年くらいからいつもこの辺りうろうろしてるカラスさんだな。何かしてた?
なんにもしてなかったと思うよ。ぼうっと景色みてただけなんじゃないかな。アンテナにとまったまま何だか手持ち無沙汰みたいだったよ。どこがどうって聞かれてもへんてつのない雪景色って感じの日だからさ、ひょっとしてカラスさんも雪見するのかな。
人間の真似は時々するけど雪見はないだろ。いまタマ言ったけどこの辺りは降っても大抵何の変哲もない雪景色なんだ。住宅地になったわりには基本的に鎌倉時代と変わってない。強風が「窓たたく」って歌、タマは忘れたかもしれないんだけどさ、そのあと雪が降りだしてしんしんと積もってく。そんな雪の朝方に玄関を開けるとちょうどあの辺りの雪でかすむ梢でカラスが啼いてる。啼き声は籠って聞こえる。雪が深い、って。こういうの。
「朝戸明(あさとあけ)の軒ばに近く聞ゆなり梢のからす雪ふかきこゑ/永福門院」(「中世和歌集 鎌倉編」『新日本古典文学大系 中世和歌集 鎌倉編・P.413』岩波書店 一九九一年)
でもなんでこの辺りは昔と変わんないの?
いや世界的異常気象で少しずつ変わってることは変わってるんだけどね、京都の底冷えがほとんど変わって思えないみたいに琵琶湖上空ってのは昔から風があちこちから入り乱れることで有名な、ずいぶん変な意味で名所なんだ。それが他の都道府県と比較するとあたかもほとんど変わってないように見えるってことだね。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。エセル・ケイン。ジャンル化すればダーク・アンビエントということになるのだろう。現実がホラーを越えてしまっている世界でもしホラー映画がまたひとつ作成されたとしよう。その映画音楽が今や日常化した現実のホラー性に揺さぶりをかけるほどの音楽になり得るかどうか、おそらく無理なのではという諦観ただよう昨今。そこで映像はいったん別として、現実生活の開き直った明るすぎる暴力的ホラー政治が横行する中で、大人たちのマッチョでありながら時おり無防備な首筋にオルゴールを持った無表情な幼児が背後からチューニングの壊れた音でじわじわ疵を刻みつけ次第に内部から滲み出てくる痛みを浸透させつつ、ホラー化した現実に微々たるものだとはいえ確かに違いのあるダークな世界のことを思い出してはくれまいかと耳を傾けさせる方法についてこのごろ考えていた。できるとすればありふれたゾンビではなく幽霊的なもの。明瞭なノイズではなく息も絶えだえに擦れ去っていく廃墟のリヴァーブ。
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