三宅香帆は引用する。
「あれはたぶん子供の名前をつけることで、私と夫の母親がいさかいのようなものをした時からだったと思う。夫の母は宗教みたいなのに凝っていて、そこで名前を『いただいて』きたのだ。どんな名前だったかは忘れたが、でもとにかく私はそんなものを『いただく』気はなかった。それで私と姑はかなり激しく言い合いをした。でも夫はそれに対して何も言えなかった。ただ隣で私たちをなだめているだけだった」(村上春樹「眠り」『TVピープル・P.198』文春文庫 一九九三年)
このようなシーンは現実の日常生活からもう消え失せただろうかと言えばそんなことはなく、残っているところでは相変わらず、けしからぬほどぬけぬけと残り居着いてしまってさえいる。村上春樹は「宗教」と書いているが「家父長制」へ置き換えればわかりやすい。けれども「家父長制」とだけ言ってしまうと単純素朴すぎるというかいきなり言葉ばかりが大きすぎるというか、ともかくこぼれ落としてしまう微粒子のような要素があまりにも多い。そこへ読者の目を持っていこうとすれば面倒でぐねぐね曲がりくねった手法ではあっても「小説」が有効だろうとはおもう。その種の事情が変わらない限り、むしろネット普及期を経て新しくなおかつさらに混み入りつつ増殖し始めている以上「小説」は必要とされるだろう。「小説」に見切りをつけた人々が漫画、アニメ、映画などへ流出し出したのも一九九〇年代後半から二〇一〇年代前半にかけてという事情も込みで。
三宅香帆が上野千鶴子の論を引きつつ述べる《「私」は外へ出た、「と思ったが問題」》とでもいうべきもの。それは一九八〇年代後半一杯をかけて確かに存在した。出たら出たで今度は新しく作るところがないという鉄の掟。
小説の終わりのほうにこうある。
「私はあきらめてシートにもたれ、両手で顔を覆う。そして泣く。私には泣くことしかできない。あとからあとから涙がこぼれてくる。私はひとりで、この小さな箱に閉じ込められたままどこにも行けないのだ。今は夜のいちばん深い時刻で、そして男たちは私の車を揺さぶりつづけているのだ。彼らは私の車を倒そうとしているのだ」(村上春樹「眠り」『TVピープル・P.210』文春文庫 一九九三年)
男女二元論が動かしようのない前提になっているとこのような悪夢的シーンと向き合い続けるほかなくなる。
「男たちは私の車を揺さぶりつづけているのだ。彼らは私の車を倒そうとしている」
というような場合「男たち」が持つ「一般的」価値観にそぐわなければ女たちのひとり=「私」は抹殺されるか精神病院の鉄格子の中へ放り込まれるしかなかっただろう。
ところでニーチェは「一般的」価値観に上手く収めることのできないケースを「反語」としてあげている。一般的に平均的な「女性」よりも小柄な男の存在について。「小柄な男の存在は女にとって永遠の反語である」ということを言っている。ちなみに、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と一貫して、一番小柄な女子よりいつも身長が低かった立場からすれば、男女二元論は常にあまりに粗雑な議論にしか見えなかった。
大学生になってもまだ男といえば女より常に体が大きく体力もあり声にも力があり、例えば抗議デモのような体力勝負という事態ではいつも男に頼るほかなくなるか弱い存在たる女はーーーという粗雑この上ない議論が「平均的な男女の間だけ」で延々続く。大学へ行ったら行ったで自分のように女子学生より常に小柄な男の存在は「いる」か「いない」かではなく周囲の議論のなかで「出現する(いる)」こともあれば「消滅する(いないとされる)」こともある宙ぶらりんな世界を浮遊していた。主体性というものは何やらどろどろと変容するものであって、世界によってあらかじめ設定されたり設定解除されたりと自分の知らないところで手前勝手に加工=変造されているのだと繰り返し目撃しない日はないのだった。
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