気まぐれ猫と音楽だらけの暮らし

マイフェバレット満載!好きなことしかしない気まま気まぐれでもちょっとセンチメンタルな、お話ばかりですが、聞いて!

五か月ぶりの再会に盛り上がる

2011-08-13 23:56:53 | 日記・エッセイ・コラム

 震災から早五か月。お盆の時期なので関東圏に避難していた友人が福島に戻ってきました。一時帰宅やちょっとした書類関係の用事では来ていたらしいのですが、ゆっくりお茶を飲む時間などなく、今日はとにかく「会いたい!」との一心で来てくれました。震災の時は「一緒に居ようね」と言っていたのに・・・・。おいて行かれたけど。仕方ないです。彼女もいろいろ探して今は柏に住宅を借りて住んでいるようです。妹夫婦と子供たちを含めると11人家族。支援物資の鍋やかんが余っていたのであげました。早く言えばいいのに。

 結構右往左往しましたが結果オーライ。何事のトラブルもなくすべてがうまく回っているとか。仕事も見つかり、来春卒業の二男の就職も決まり、取りあえず安泰だとか。良かった。仕事の関係で福島を離れられないのでここにいる自分ですが、それも人生。今はここに決めて良かったと思います。

 何より、子供たちが安心して勉強できて、わがままも言える状態にあることが一番です。

 お盆なので親戚宅には供物としてお香を持っていきました。叔母が好きな白檀を選んだのですが気に入ってくれるとうれしいのですが、代わりにラジウム卵を持たされて来まして、これは飯坂温泉の名物。普通の温泉卵と違って黄身と白身がしっかりしているんです。朝はこれだけで十分。トーストに乗せてもおいしいし。ご飯はもちろんばっちり。桃も送っておいたのでおいしいうちに食べてねと念を押しました。ついでに八丈のくさやも持たせて、臭みを取る方法を教えてみました。クサヤは臭いのですが本当においしいものは臭くない。まあ独特の風味はありますがね。一般の干物より味が濃い感じで私は好きです。

 いろいろ話して、人生はその時々で選択肢があり、どれをとっても間違いではないし、後から考えてみれば後悔するのも当たり前。でも結果が良ければそれもいい。どうしなければならないのかという正解はない。けれども上手に生きるべきだと思うのです。

 秋田に行った絶交した友人は相変わらずだそうで、働かない旦那に動かない娘。月に一度福島まで秋田から通信高校の授業を受けに来るそうで、いくら高速道路が無料とはいえガソリン代とか食事代とかかかるだろうし。秋田にも通信制はあるだろうに。何故臨機応変に考えられないのかが不思議。しかも仕事が出来る年で仕事をしない夫がだらだら妻の実家にいたらどうなんでしょうね。ありえないなああ。と盆休みで帰ってきた我が家のダーリンとも話しました。仕事しているかなんかしてないと頭がおかしくなるとか。そうでしょうね。普通はそうでしょう。いくら義捐金や仮払金が入ってもそれは生活費にはしないで取っておくのが本当でしょうね。津波で家が流されたとか漁師や農業で仕事ができないというのであればまた話は別ですけど。弊社の仕事は原発関係なので注文があれば仕事をするという綱渡り状態。それでもあるだけ頑張れば次の仕事につながるかもしれないと懸命にやってます。

 社会保険や厚生年金が免除になったので助かりました。銀行の借り入れも出来そうで、今まで止まっていた役員報酬の支払いも出来そうです。

 だから今月はちょとリッチ。久々に七ケタの預金残高を見ると安心します。

 会いに来てくれた友人は津波の崩れる中を必死で逃げて助かったつわもの。だから生きていることに素直です。すべてにありがたいと思うと言ってます。長男の2月に買ったばかりの新車は波をかぶってダメになり廃車にするとか。残念ですね。やっと千葉県も家賃の補助がきまり少しは助かるでしょう。それにしても遅いですね。

 自主避難に賠償をという報道に怒り爆発。勝手に怖がって県外へ移転というのはどうなのかしら。勿論この事故が無ければ起こりえない行動ですからわからなくもないのですが、同じく県内に住んでいて内部被ばくも外部被ばくも無しに生きている自分たちはなんなんのでしょうね。何十年先の心配をするよりも、交通事故や新幹線の事故、飛行機の事故で亡くなる確率の方が高い。たばこや発がん性の物質を持つ食物は多いですからね。その中で放射能とうまく共存し進化してきた地球ですから、落ち着いて欲しいと切に願います。

 落ち着いたら京都に行こうねえと約束。そうだよね。何か目標がないと。面白くないもん。

 物理的距離が離れた分心が近くなった気がします。

 友人ってそういうものですね。ありがたいです。


震災五か月目を迎えて

2011-08-13 00:51:11 | 日記・エッセイ・コラム

 岩手の友人の葬儀に行ってきました。福島でもお世話になった方が急にお亡くなりになって戻りたかったのですがいかんせん岩手は遠い。弔電と生花を贈り香典は現金書留で送りました。母娘でお世話になった方なのでぜひ最後にご挨拶をと思ったのですが、ちょっと時間的に無理でした。この時期多いのです。新盆・初盆の前に区切りをつけようとする方が多いようですね。

 喪服を持っていないのでグレーのワンピースで出かけたら斎場で貸し出しがあるとの事。さっそく借りて見ました。安物でもいいから用意した方が今後もいろいろ必要になるかも知れないと思ったのですが、なかなか物入りなので複雑です。

 立秋を迎えて山からの風が涼しくエアコンを使わない日が続いています。ありがたいことですが季節が移るたびいつになったら自宅に帰れるのかを思うので、いやになります。

 毎月11日には黙とうを行うのですがその際のサイレンの音が嫌なのです。甲子園でもあのサイレンの音が嫌だという戦争体験者がいました。空襲警報を思い出すのだとか。同じですよね。津波警報というか避難指示が出たと消防団や警察が町を走る時にサイレンを鳴らすので、耳についてしばらくはうなされました。同じくヘリコプターの音も嫌ですが、自衛隊が救援に向かうんだと思えば「がんばれ!」と心の中で思います。

 近くに毎日自衛隊を出迎える小学生がいます。よく報道され感謝状も貰ったとか。本当に警察・消防団・自衛隊にはお世話になりました。だいぶ縮小されていくし、今日で多数の避難所が閉鎖されたと聞きました。思い切って仮設住宅に入り、一歩前進して欲しいと思います。 

 でもその仮設住宅なんですが、固定電話はどうなっているんでしょう?インターネットにつながるようなシステムにしているのかしら?地デジにも対応しているのかな?エアコンはあるようですが配置が悪く効率が今一つ上がらないらしい。トタン自体に熱を持つので室内もかなりの暑さになるとか。熱中症が心配です。

 友人のいる仮設住宅に買い物を頼まれたので届けに行ったのですがもう、足の踏み場もない。片付けようと収納ケースを買い込むから余計にどこに何があるのかわからなくなるとか。取りあえず冬物のケースの上にマットレスを敷いてベッドのように空間を確保。つまり高床式ですね。食器もしまわずに洗ったままにしておいて布巾をかけてアルコール除菌をかけておけば取りあえず食中毒にはならないでしょう。隣の夕食のメニューも分かるとか。でもおすそ分けもあるようで、昔の長屋ですね。それも楽しめるといいのですが。友人の子供はアトピーで偏食もあるので大変だとか。給食はある程度配慮してくれているので助かってます。中学生くらいになると自分で調整出来るので良いのですが、幼稚園だと無理。この時期は弁当も危ない。昼間働きに両親が出るのでブロック単位で子供の面倒を見ているのだとか。臨時保育所ですね。

 まだまだ行政の遅れは否めない。でも進んでいる事も事実。焦らず一歩。