「墓参りは必要か否か」のスレですが、正論から哲学論。倫理から習慣までいろいろ議論がされていてこの時期に良い話題ですね。どういう結論であれスレが経つこと自体がいいことだと思います。
私の意見は「墓参り」自体については「習慣」だと思う。宗教的な儀式かな。自分の意志とは関係なくやらなければならないことだと思っています。というのもお墓自体には何らの意味はない。骨壺があるとか下に骨があるから故人を偲ぶという行為は自己満足だと思うのです。実際に墓参りに行かなくても「心を寄せる」だけでいいと思いたい。かなり遠くにお墓がある人は墓参りが出来なくても先祖は怒ったりしませんよ。先祖がたたるからとかいろいろ勿論心霊的な意味合いも出てくるという人もいるでしょう。確かに実母は亡くなってからもお盆になるとちゃんと帰ってきますから・・・・。ある意味「すごいなあ」と思うんですけど、結局この世をさまよっているというか転生するまではある程度ふらふらしているみたいですね。だから釜の蓋が開くというか扉が開けばこの世に戻ってきて頑張っているかどうか確認する。という行為らしい。勿論この世に未練がある場合にはその扉の前にもいかないわけですから、お墓があるなしにかかわらず成仏はしませんね。
お墓スレのほかに僧侶が「戒名はいるのかいらないのか」を話し合っていて実際あちらの世界のお名前はなくてもいいんじゃないかって思いますけど、震災の時に位牌は持ってきたので仮住まいにおいてありますけど、花をあげたり水をあげたり御線香を焚いてみたりとするのですがどれも自分のためだと思うんです。忘れてませんよ的な意味合いがある。それから親戚や年寄りの煩い人たちに「ちゃんと面倒みてますから」みたいなところもなくもない。
お墓の問題はツレの両親もどこに作るかで現在喧嘩中。じいさんは故郷の北海道に持って行ってくれという。ばあさんは遠いから行かれないという。自分が生き残ることを前提にしてる?!近くないと墓参りに長男が来られないじゃないかといい、永代供養にしてもらうから誰も来なくていいという爺さん。私はね言いました。距離じゃない。近くても心が無い人はいかないよ。と。で、問題は付き合いのある菩提寺があるかどうかなんですよ。宗派もあるだろうし。だったら兄弟がいる北海道のお寺だったら先祖代々預かっていただいているわけですからそっちの方がいいと思うよ・・・といったのですが、長男大好きで信じてますからね。その長男は全然親の面倒を見る気はないらしい。知っているのはじいさんだけ。ばあさんはまだ長男にご執心ですから。
兄弟仲も悪いので付き合いも少ないですけど、どうにも嫁側についているらしい。そういえば我が家は婿取りなので嫁の意見が通りますねえ。
お盆ですからちゃんと間違えずに帰ってきた人に驚き。(いやマジで)
もう少し仏壇をちゃんとしたいのですが、自宅に帰る事を前提にしているので仮置きです。わざとです。