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茅ケ崎ジョン・レノン

2008-11-11 17:18:48 | インポート

(1977年 軽井沢でのジョン)


オノ・ヨーコは安田財閥の子孫で鎌倉にゆかりがあると聞いた。
ヨーコのお母さんの実家は辻堂で、その近辺には彼女をよく知っている人も多い。

辻堂のどこかを調べたら、駅の南であった。
濱竹である。

おいおい、濱竹って茅ヶ崎市ではないか!
しかもアオケン君の近所である。

ジョンとヨーコが結婚した1969年、
ジョンの大ファンだった桑田氏のお姉さん(先日お亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。)は、
結婚に激怒してオノ家に投石したらしい。
桑田氏がインタビューで言っていた。

桑田さん実家とオノ実家は6キロくらい??
だから投石の10年後にジョンが来日した時は、
桑田氏のお姉さんのエリコさんとジョンは、
実は数キロ離れていただけなのだ。


ジョンは1976年ころから、家族で毎年日本に来ていた。

このとき必ず鎌倉や、ヨーコの母の実家にちょくちょく来ていた。

つまりだ。
ジョンはちょくちょく茅ケ崎に来ていたということだ。

オーマイガー!!
オイラはなんていうところに住んでいるのだ!!

きっとあそこらへんを散歩したにちがいない!
そしてやっぱり海にも散歩に行ったんだろう。

クソ下やチサンあたりだろうな。
その頃はパシフィックホテルも営業していたからお茶くらい飲みに行ったかも。
誰もきっとわからなかったのだ。まさかいるわけないって。

ジョンはこうやってチサンからパークに向かって歩き、
パシフィックホテルでお茶をしてエボシ岩を眺めた。

それから、車で向かったのは軽井沢のあの有名なクラシックホテル、万平である。
ジョンは万平ホテルがすごくお気に入りで4シーズン来た。

ジョンのゆかりの地、茅ケ崎~軽井沢にいき、万平にステイする計画がある。
ちょうどジョンの命日である12月8日だ。


ジョンはヨーコの母実家にちょくちょく来ていた、というのは
ビートルズ関連の文献や研究書籍で目にすることができる。
しかし、そこに茅ヶ崎という文字はない。

辻堂ですら、地元でヨーコと関連のある人たちから聞いただけで、
その地名すら出てこない。
辻堂というのは、実家がたまたま辻堂駅に近いだけで住所は確かに茅ケ崎である。

この発見はオイラには大事件である。
本当だったらいいなあ。

もしかしたら、茅ケ崎にいたときに、
スターティング・オーバーやウーマンを書いてたりして。