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Surf, Run and Trails / Endurance For Fun

身近な死

2008-11-18 09:12:03 | インポート
先週土曜日のことだが、義弟が仕事中の事故で亡くなった。
あまりに突然の出来事で、しかもあまりにも壮絶すぎる死に方だった。
現実に起こる死に方の中で、おそらく最も壮絶な人間の最期であろう。

享年43。

彼とはかれこれ20年近い付き合いで、行き来も多く、
数年前に夢叶い、やっと事業を独立したばかり。
人望が厚くて、顧客数も増え、順調に確実に成果を出しはじめた矢先の出来事。

妻である妹の誕生日を迎えた翌日の出来事だった。

中三の娘の高校受験が終わったら家族で旅行しようと話した直後のことだった。


警察に向かい、検死作業を待って本人であることを確認した。

家族には到底無理なので、僕が自発的に確認することを希望したのだ。
安置所は本棟の外の敷地のはずれにある小さな建物で、
ただの四角い殺風景なコンクリートの1階の建物だった。
その中はあまりにも悲しい空間でだった。
おそらく世の中でもっとも悲しい空気でいっぱいで、
鉄の扉の隙間を抜けて外にもその空気が漏れている。
無念さや憤りや苦しみや怒りや悲しさが5万トンくらい圧縮されている。


やり残したことあるだろうなあ。
まだまだやりたいことあっただろうなあ。
行きたいところいっぱいあっただろうなあ。
まだまだバイクに乗りたかったろうなあ。
17日のWHOのチケット取れたのに行きたかったろうなあ。
死にたくなかったろうなあ。

警察には家族や親類多く詰めかけた。
本人確認や事情聴取は4時間かけて終わった。

警察署をあとにしようとしたとき、
中三の姪と小5の甥はパパにさよならを言いたいと言った。

冷たい安置所に一人残して帰るのはあまりにも可哀想だと言ったのだ。
僕は彼らを安置所の前まで連れて行った。
正面玄関から警察車両の駐車場を通る。
道は湿っていて、彼らの足取りも重く、空気も重く、
心臓までが腹部に落ちそうなくらい全てが重い道のりだったな。

安置所からちょうど担当者が出てきたところだった。
担当者が中に入って顔を見るかどうか聞いたが僕は断った。

『またあとでサヨナラ会があるからそのとき会えるさ』
と言ったら、子供達は鉄の扉に向かってパパにお別れを言った。
そのあと小雨の降る暗い空を見上げて二人の子供はワンワン泣いた。

僕の人生の経験で一番悲しい光景だった。


その出来事は土曜日で、日曜からは彼が残した仕事のこと、
残された家族の生活費のこと、葬儀のこと、
何一つ後回しにできないことを処理していかなくてはならない。

僕は意識して凛としてクールにテキパキ事務的に行った。
まわりからは冷たいと文句を言われたが、なんとか目途や方向性だけつけた。

諸事情で葬儀の日程が決まらないので今日月曜は会社に来た。
会社に来たら、食欲がないことや仕事意欲が全くないことに気がついた。

とにかく、死の不幸とは残された者たちが思う無念さである。

まあ、オレや他の兄弟夫婦もいるので残された家族はダイジョウブ。
安らかに眠りな。

合掌。